序章:小さな命の未来を左右する「見えない要因」
ある日のこと。産婦人科で定期健診を受ける若い妊婦が、医師から「体重も血圧も正常ですね」と告げられると、安堵の表情を浮かべました。しかし、その後の一言が彼女の表情を曇らせました。「ただ、赤ちゃんの発育が少しゆっくりめですね。気をつけましょう。」
この「発育の遅れ」や「早産(そうざん)」——つまり予定よりも早く生まれてしまうこと——は、妊娠における重要な課題です。日本でもこの数十年で増加傾向にあります。1990年には4.5%だった早産率は、2015年には5.6%へと上昇し、低出生体重児(出生時体重が2,500グラム未満)の割合も6.5%から9.5%に上がりました。

これらの問題には多くの要因が関わりますが、近年、注目されているのが「妊娠前の食生活」——中でも「炎症を引き起こす食事(proinflammatory diet)」です。
本稿では、日本環境こども調査(Japan Environment and Children’s Study、以下JECS)によって明らかになったこの関係性を、科学的な厳密さと一般の読者にも届くやわらかな語り口でご紹介します。
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第一章:見えない炎症が引き起こす早産と低体重の連鎖
炎症(えんしょう)とは、体が細菌やウイルスなどの外敵に対抗するために起こす免疫反応のことですが、それが過剰になったり慢性化したりすると、逆に体に害を及ぼします。心筋梗塞や糖尿病、がんなどと並んで、早産や胎児発育遅延にも炎症が関与していることが明らかになってきました。
そしてその炎症を促進するのが、「飽和脂肪酸」「トランス脂肪酸」「精製糖質」などを多く含む食生活です。いわゆる“西洋型食事”と呼ばれるもので、ファストフードやスナック菓子、加工食品などに多く含まれます。こうした食事は、体内で炎症性サイトカイン(IL-6、TNF-αなど)を増加させ、結果として子宮の収縮や胎盤の機能障害、さらには早産を引き起こすリスクを高めると考えられています。
一方、日本の伝統的な和食や地中海食(オリーブオイル、野菜、魚を多く含む)は、これとは逆に抗炎症作用を持つとされ、健康を守る力があると考えられています。
では、実際に「妊娠前にどのような食事をしていたか」が、出生アウトカム——つまり赤ちゃんの誕生の状態——にどう影響するのでしょうか? それを検証するために行われたのが、JECSによる大規模な疫学調査です。
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第二章:10万人を追ったJECS(日本環境こども調査)
JECSは、環境要因が子どもの健康に及ぼす影響を明らかにするために、2011年から日本全国で開始された前向き出生コホート研究です。対象は2011年8月から2014年中旬までに出産を予定していた妊婦で、合計で約104,000人が登録されました。
今回の分析では、そのうち89,329件の単胎児かつ生児出産のケースに絞って解析が行われました。双子や三つ子、22週未満の早期流産、データ不備のケースは除外されています。
参加者からは以下の情報が収集されました:
- 妊娠初期の質問票:既往歴と食生活(1年前の食事)に関する情報
- 妊娠中期〜後期の質問票:教育水準、収入などの社会経済的背景
- 医療記録:分娩の詳細、妊娠合併症
- 血液検査:白血球数(炎症マーカー)
食事に関しては、妊娠前1年間の食事を食物摂取頻度調査票(Food Frequency Questionnaire, FFQ)で調査。その情報から食事性炎症指数(Dietary Inflammatory Index, DII)を算出しました。
DIIとは、世界中の研究論文(約2,000報)から導き出された「30項目の栄養素・食品成分」の炎症促進または抑制効果に基づいてスコア化されたものです。DIIが高いほど炎症を引き起こす食事傾向が強いことを示します。
今回のJECS対象者のDIIスコアは、−6.16から+5.80までと広範囲に分布していました。
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第三章:統計が語る、炎症的食事と妊娠合併症の関係
DIIスコアに基づき、参加者は「最も抗炎症的(Q1)」から「最も炎症的(Q4)」までの4群に分類されました。年齢や体格指数(BMI)、喫煙歴、教育年数、世帯年収など、重要な交絡因子を統計的に調整した上で、以下のような結果が得られました:
最も炎症的な食事(Q4)をしていた女性は、以下のリスクが統計的に有意に高いことが示されました。
- 早産(34週未満)のリスクが1.29倍(95%信頼区間: 1.07–1.55)
- 低出生体重児(2,500g未満)のリスクが1.08倍(95% CI: 1.01–1.16)
- 妊娠高血圧症候群(Hypertensive Disorders of Pregnancy, HDP)のリスクが1.27倍(95% CI: 1.09–1.36)
一方で、37週未満の早産や1,500g未満の極低出生体重、在胎週数に対する体重が小さい(SGA: small for gestational age)には、有意な関連は見られませんでした。
さらに、白血球数が12,000/μLを超える白血球増多(leukocytosis)も、高DII群でより多く見られ、体内の炎症状態が反映されている可能性が示唆されました。
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第四章:なぜ炎症的食事がこれほど深刻な影響を?
ではなぜ、食生活がこれほどまでに妊娠や出産に影響を及ぼすのでしょうか?
ひとつは、炎症性サイトカイン(IL-6やTNF-α)が子宮の収縮を促進したり、胎膜の脆弱化(破水)を引き起こすといった生理的メカニズムです。また、高脂肪食が腸内環境を悪化させる(腸内フローラの乱れ)ことで、全身性の慢性炎症が引き起こされるとも言われています。
さらに、炎症によって血管の内皮細胞が障害を受けると、血圧が上がりやすくなり、HDP(妊娠高血圧症候群)を誘発する可能性があります。これは胎児の発育にも悪影響を及ぼすため、母子ともにリスクが高まるのです。
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終章:妊娠は、妊娠前から始まっている
本研究の意義は、「妊娠中の栄養管理」だけでなく、「妊娠前の食生活」にも強く目を向ける必要があることを科学的に証明した点にあります。
食生活は、私たちの生活の中で最も身近で、最も修正可能な因子の一つです。本研究は、炎症を抑える食生活(例:魚や野菜、発酵食品中心の和食)を妊娠前から心がけることで、早産や低出生体重、妊娠高血圧などのリスクを下げる可能性があることを示しています。
もちろん、この研究には限界もあります。たとえばCRPやIL-6といった炎症の直接的なバイオマーカーは測定されておらず、またFFQ(食物摂取頻度票)は自己申告のため誤差も含まれます。しかし、10万人規模の母集団から得られたこの知見は、母子保健における新たな予防戦略の重要な足がかりとなるでしょう。
私たちの未来を担う赤ちゃんの健康は、母体の“見えない炎症”によって左右されているかもしれません。そしてその炎症は、何気ない日々の食事によって静かに積み重なっていくのです。
食べることは、生きること。そして、未来を育むこと。
その始まりは、妊娠がわかるもっと前から、すでに始まっているのです。
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マンジャロとは?
マンジャロ(一般名:チルゼパチド)は、肥満や2型糖尿病の治療に用いられる注射薬で、「二重インクレチン作動薬」として世界的に注目されています。その最大の特徴は、GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)とGIP(グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド)という二つのホルモンの働きを同時に高めることです。GLP-1は脳の満腹中枢を刺激して食欲を抑え、胃の内容物の排出をゆるやかにして満腹感を持続させます。一方、GIPはインスリン分泌を助け、血糖値の安定と脂肪代謝の改善に貢献します。この二つの作用が組み合わさることで、従来の治療薬よりも大きな体重減少と血糖コントロールの改善が可能になります。特に妊娠前の体重管理は、母体だけでなく将来の赤ちゃんの健康にも直結します。マンジャロは、健康的な妊娠を目指す女性にとっても、適切な医師の管理下で有用となり得る選択肢です。
マンジャロの効果
マンジャロの臨床試験では、週1回の注射を継続することで、糖尿病の有無にかかわらず大幅な体重減少が確認されています。最大用量を使用した場合、平均で体重の15〜20%の減少が見られ、内臓脂肪の減少や血糖・血圧・脂質の改善も同時に達成されました。こうした効果は、生活習慣病の予防や改善に直結するだけでなく、妊娠を考えている人にとっても重要です。肥満や血糖コントロール不良は、妊娠中の高血圧症候群、妊娠糖尿病、早産、低出生体重児のリスクを高めることが知られています。マンジャロによる体重・代謝の改善は、こうしたリスクの軽減につながる可能性があります。また、GLP-1作動薬特有の消化器症状は比較的軽減され、長期使用にも耐えやすい点が評価されています。ただし、妊娠中や授乳中の使用は推奨されないため、妊娠を予定している場合は、開始時期や中止時期を必ず医師と相談することが不可欠です。