序章:食と脳の交差点――「食べること」の深層へ
食べるという行為は、単なる栄養摂取ではない。それは、生物としての私たちの基本的な営みであると同時に、文化、信念、感情、そして脳の働きと複雑に結びついた、きわめて多層的な行動である。
何を食べるのか、どのように食べるのか、なぜ食べるのか――そして、ときに、なぜ「食べない」のか。こうした選択の背後には、宗教的な儀式や社会的抗議、身体の疾患、自己の統制や向上といった、様々な意味や背景が織り込まれている。それは、身体が発する物理的な欲求だけでなく、社会的文脈、個人の価値観、そして神経系の調整にまで及ぶ、極めて繊細で動的なプロセスである。
この論考では、日本の文化的・歴史的背景を踏まえながら、「食を制限する」という行為――すなわち「ダイエット(dieting)」――を、生物学・心理学・社会学・神経科学といった複数の学問領域を横断しつつ、解き明かしていく。江戸時代の症例記録から始まり、歴史的な飢饉が身体と心に及ぼした影響、そして現代における摂食行動と認知科学の最前線に至るまで、「食と脳の交差点」に横たわるダイナミズムを追いかけていく。
ここで取り上げる「ダイエット」とは、決して一時的な制限や美容的願望にとどまるものではない。それは、「信念」「脳」「環境」が交差する場において、人間がどのように自己を保ち、変えようとするのかという、生き方の選択そのものでもある。
本稿を通じて、「食べる」という行為に宿る知性と脆さ、統制と欲望、個人と社会の交差点を描き出し、食をめぐる理解を、より深く、よりしなやかに、そしてより人間らしく捉え直していきたい。
制限の系譜――食を断つという文化と病のあわいに
「食べない」という選択は、いつも異質で、時に崇高ですらある。
それは苦行であり、祈りであり、抵抗であり、あるいは声にならない悲鳴として、歴史の中に確かに刻まれてきた。
摂食障害――Anorexia Nervosa(神経性無食欲症)やBulimia Nervosa(神経性過食症)などの名で知られる現象は、かつては「西洋特有の文化症候群(culture-bound syndrome)」と考えられていた。だが、日本の歴史をひもとけば、「食を断つ」という行為が、決して異国のものではなかったことがわかる。
江戸時代、加賀屋(1768)が記した医学書には、「不食病(ふしょくびょう)」や「神仙癆(しんせんろう)」と呼ばれる症例が登場する。そこには、15歳から40歳の女性たち、50名以上の詳細な記録が残されている。彼女たちは長期間にわたり食物を拒み、身体は著しく痩せ細り、やがて社会との接点を絶つようになる――まるで現代における神経性無食欲症や、ARFID(回避・制限性食物摂取障害)の症状に酷似するかのようである。ただし、現在の診断基準において重要視される「肥満への恐怖(fat phobia)」の記述は、そこには見られない(中井・仁, 2020)。
時代が下るにつれ、「食と身体」に対する人々のまなざしは変容してゆく。急速な都市化、メディアの普及、美容意識の高まり――こうした社会変動とともに、近代日本における摂食障害の発症率は大きく増加していく。1980年から2015年にかけての病院ベースの疫学調査によれば、神経性無食欲症の年間罹患率は、人口10万人あたり2.5人から10.0人へと、実に4倍に増加した。神経性過食症についても、同様に1.3人から5.1人へと顕著な上昇が認められている。
京都のある臨床研究では、BMIが30未満の患者のうち、27.5%が過食性障害(Binge Eating Disorder: BED)と診断されたという(中井・仁, 2016)。これは、肥満が目立たない場合にBEDが見逃されやすい現実を示唆している。また、ARFIDの症例も全体の9.2%に及び、その多くは比較的短い病期を経て、良好な回復を示していた。
統計の中には、沈黙の物語がある。たとえば、性別による傾向を見ると、摂食障害の患者は女性が圧倒的に多いが、男性の患者も2.1~5.2%を占め、しかも死亡率は女性の2倍以上の調整オッズ比を示している(枝久保・伏見, 2020)。社会の表層では語られにくいが、食に関する苦悩は男性にもまた深く影を落としている。
地域差も見逃せない。1997年に行われた新潟の調査では、ANの有病率は人口10万人あたり2.65、BNが0.52とされる一方で、都市部である京都の高校生女子では、ANの有病率が0.42%に達していた。この違いは、地方と都市とで異なる身体観や社会的圧力が存在することを物語る。
こうして見てくると、日本における摂食行動は、単なる医学的カテゴリを超え、歴史、文化、ジェンダー、そして地域性と深く結びついた現象であることが明らかになる。
「食べない」という行為の背景には、語られざる物語がある。 その物語に耳を澄ませることは、現代における食の問題を理解するための、最初の一歩なのである。
飢饉という強制ダイエット――極限下の身体と心の軌跡
飢えは、静かに人間の尊厳を削ぎ落としていく。
それは生存を脅かす単なる現象ではなく、感情を鈍らせ、記憶を歪ませ、思考を呑み込んでゆく沈黙の圧力である。歴史の中で何度となく繰り返されてきた飢饉は、人間の身体と精神が「飢え」にどう反応し、どう壊れてゆくかを明らかにする、いわば自然が作り出した“実験室”であった。
最も精緻に記録された飢餓研究の一つが、1944~1945年にアメリカで実施された「ミネソタ飢餓実験(Minnesota Starvation Experiment)」である。健康な若年男性36名(平均BMI 約22)を対象に、24週間にわたる半飢餓状態が課されたこの研究は、人間の飢えに対する総合的な反応を詳細に観察したことで知られる。
彼らは平均で体重の24%を失い、慢性的な疲労、感情の平坦化、社会的な引きこもり、そして何よりも「食」への強迫的な執着を示した。興味深いのは、食事を再開して身体が回復しても、精神的・情緒的な回復はさらに12〜20週間も遅れたという点である(Keys et al., 1950)。
飢えは、ただ肉体を削ぐのではない。人間の「思考そのもの」を蝕むのである。
このような意図的に設計された飢餓とは異なり、自然災害や戦争、政策の失敗によって引き起こされた歴史的飢饉は、より容赦のない形で人々を襲ってきた。体重の20〜40%が失われる例もあり、それは生物学的には「致死の域」に達するものであった。
一方、現代のいわゆる「治療的減量(therapeutic weight loss)」は、健康目的で体重の5〜20%を減らすことを目指すが、驚くべきことに、この制限的状況においても、身体は生存を脅かされたかのような代償機構を発動させる。
たとえば、リアリティ番組『ビッグ・ルーザー(The Biggest Loser)』に参加した人々は、平均58.3kgもの減量を達成したが、その後6年以内に約31kgを再び増加させていた(Fothergill et al., 2016)。
この「リバウンド」は、意志の弱さではなく、生理的必然である。
飢餓時の身体構成の変化――すなわち脂肪(fat mass: FM)と除脂肪体重(fat-free mass: FFM)の比率――は、生死の分かれ目となる。Elia(1992)は、FFMが急激に減少することで、体内の窒素が大量に喪失され、致命的な生理的危機に直結することを指摘した。
また、Keysらは、体重の35〜40%を超えて失うと、多くのケースで不可逆的な障害、あるいは死が訪れることを記録している。
このような体重減少の過程は、以下の三段階に分類される(Heymsfield et al., 2011):
- 第1期(0〜5%):水分やグリコーゲン、FFMが主に失われる初期段階。
- 第2期(5〜25%):脂肪の減少が主体となり、FFMの損失はやや穏やかになる。
- 第3期(25%以上):脂肪とFFMが急速に枯渇し、臓器不全のリスクが著しく高まる。
この分類は、単なる栄養学的知識を超え、飢餓、神経性無食欲症、そして現代の減量治療を比較検討するうえで、有効な生理学的フレームワークを提供する。
すべての「制限」が同じ顔をしているわけではない。
だが、どれほど目的が異なろうとも、私たちの身体は「飢え」に対して、驚くほど共通した生理的反応を示す。そこに、私たちの進化の歴史が、深く刻まれている。
現代のダイエット――生理学と意志のはざまで
21世紀のダイエットは、もはや飢えの脅威に対する消極的な防衛ではない。
それは自らの身体を再設計し、理想とする自己像に近づこうとする、きわめて能動的な「選択」である。しかし同時に、それは私たちの進化の記憶と衝突する行為でもある。人間の身体は、何万年も続いた飢餓の歴史に適応してきたがゆえに、食を「減らす」という現代的欲求に対して、容赦のない生理的抵抗を示す。
■ エネルギーバランスの非対称性
人間の身体は、摂取が過剰になったときと、制限されたときとで、まったく異なる応答を示す。たとえば、過食実験では、6日から4か月の間に意図的にカロリーを過剰摂取させた結果、被験者の体重は最大で17kg増加したにもかかわらず、消費エネルギー(Energy Expenditure: EE)の増加はわずか約10%にとどまった。余剰分のエネルギーは、ほとんどが脂肪として蓄積された。
逆に、カロリーを制限すると、安静時代謝(Resting Metabolic Rate: RMR)だけでなく、無意識の身体活動――すなわち非運動性熱産生(Non-Exercise Activity Thermogenesis: NEAT)までが抑制される。このように、エネルギー消費全体が沈静化する現象は「代謝適応(metabolic adaptation)」と呼ばれ、単なる体重の減少では説明できない、生存本能の発露でもある。
その証拠に、アメリカでは平均的な成人が年齢とともに徐々に体重を増加させており、男性では9.7kg、女性では12.6kgに達するとされている。これは運動不足や食事内容の変化だけでなく、代謝適応による「戻ろうとする力」――身体のホメオスタシス機構が影響していると考えられている。
『ビッグ・ルーザー』研究でも、参加者たちは極端な減量に成功した後、6年経ってもなおRMRが1日あたり平均500kcalも低いままであった。これは、過度の制限が「代謝的な罰」を伴い、長期間にわたり身体に影響を及ぼす可能性を示している。
■ 心理的影響と行動的限界
ダイエットの影響は、身体にとどまらず、感情や認知にも及ぶ。
CALERIE試験では、BMI30〜40の肥満成人を対象に、制限的なカロリー摂取が心理的な影響をもたらすかを検討した。その結果、空腹感や食欲の一時的な増加が報告された一方で、気分や生活の質の向上も見られた。これは、体脂肪の蓄積が十分である個体では、心理的な飢餓反応が緩和されやすいことを示している。
しかし、どのような体型であっても、ダイエットによって除脂肪体重(FFM)が失われると、強烈な食欲の反動やリバウンドが生じやすくなる。Turicchiらによる2019年と2020年のメタアナリシスでは、減量後の食欲の強さと体重再増加は、FFMの損失量に比例して増加するという明確な傾向が示された。
これは、脳が単なる脂肪の減少よりも、筋肉や臓器といった「機能組織の損失」をより深刻に認識し、生存危機として反応している証左である。
したがって、現代のダイエットが真に目指すべきは、「体重の減少」ではなく、「機能の維持を前提とした調整」である。脂肪だけを落とすのではなく、筋肉を守る――それこそが、科学的かつ持続可能な体重管理の本質なのだ。
私たちが自らの意志で制限を選ぶとき、身体はその選択に疑問を投げかけてくる。
「それは本当に必要な制限なのか?」「命を守るために、私は抵抗すべきではないか?」
ダイエットとは、身体と脳が対話を交わすプロセスである。
目的と本能、その緊張関係のあわいで、私たちは新しい食のあり方を模索している。
脳と食の相互作用――行動を形づくるフィードバック・ループ
私たちは、脳で食べている。
そしてまた、食べることで脳がつくられている。
この双方向の関係性は、単なる比喩ではない。食行動とは、神経回路とホルモンが織りなす綿密なフィードバック・ループのなかで、生理的・感情的・社会的要因が相互作用しながら形づくられている、極めて精巧な行動様式である。
■ 食欲は「感じるもの」ではなく「学ぶもの」
私たちが何を好み、何を避けるか――その選択は、本能ではなく学習によって形成される。
子どもが野菜を嫌い、甘いものを好むのは単なる味覚の問題ではない。そこには、家庭での食卓、テレビCM、友人の影響、そして何より親の言葉が深く関与している。「ブロッコリーを食べたらデザートをあげる」といった報酬による動機づけは、一見効果的に見えて、実は野菜の価値を損なう可能性がある。これは「過正当化効果(overjustification effect)」として知られ、内発的動機づけの喪失を引き起こす。
また、私たちの食欲は、空腹という生理的サイン以上に、視覚・嗅覚・社会的状況に左右されている。盛りつけの量が多ければ、満腹でもさらに手を伸ばし、誰かと一緒に食べれば摂取量が増える「社会的促進(social facilitation)」も観察される。テレビやスマートフォンを見ながらの食事は、満腹の記憶を薄れさせ、次の食事で過剰に食べてしまう引き金となる。
■ 制限は脳を「疲弊」させる
ダイエットがうまくいかない理由のひとつは、脳のリソースが有限であるという事実にある。
短期的には、強い意志で食欲を抑えられる。しかし、この「抑制」は認知的エネルギーを必要とし、やがては枯渇する。すると、ふとしたきっかけで衝動が解放され、制限していた反動として「過食」が訪れる――。この現象は「自我消耗理論(ego depletion)」により説明され、抑制が続けば続くほど、反動も強くなる。
けれども、すべての制限が同じように脳を疲弊させるわけではない。たとえば、政治的信念に基づいたハンガーストライキや、宗教的断食のように、「目的を持った飢餓」には、驚くほどの制御力が見られる場合もある。そこには、意味づけによる認知的再構築が働いており、脳が状況を「苦痛」ではなく「意志の表明」として再解釈している。
■ 摂食障害は脳と食の関係の「破綻点」である
摂食障害――Anorexia Nervosa(AN)、Bulimia Nervosa(BN)、Binge Eating Disorder(BED)、Avoidant/Restrictive Food Intake Disorder(ARFID)――は、脳と食行動のフィードバック・ループが極度に崩壊した状態といえる。
ANでは、極端な制限と自己像のゆがみが重なり、すべての精神疾患の中で最も高い致死率を持つ。BEDでは、過食衝動が繰り返されるが、BNに見られるような代償行動(嘔吐や下剤の使用)は存在しない。その結果、深刻な体重増加や自己評価の低下を招く。
こうした障害には、単なる心理的要因だけでなく、神経的背景も存在する。たとえば、前頭葉の損傷により「グルメ症候群(Gourmand Syndrome)」と呼ばれる過食傾向が現れることがあり、また、プラダー・ウィリ症候群(Prader-Willi Syndrome)では、遺伝的な要因により恒常的な食欲過多が生じる。
健忘症の著名な症例であるHMでは、記憶が保持できないために、食事を終えた直後に再び「空腹」を感じ、食べ続けようとする現象すら記録されている。記憶とは、食行動における「満足」の条件でもあるのだ。
脳は、「食べること」を単なる生理的行為とは捉えていない。
それは、記憶をつなぎ、感情を調律し、信念と結びつけられる、「自己形成」の一部なのである。
だからこそ、私たちが何を食べるか、いつ、どこで、誰と食べるか――その一つひとつが、心をかたちづくる無数の選択となっていく。
48時間断食――短期絶食が示す脳の適応力
断食とは、沈黙の問いかけである。
私たちの身体と脳は、エネルギーの供給を断たれたとき、果たしてどのように応えるのだろうか――。その問いに真正面から向き合ったのが、ここで紹介する「48時間完全断食」の実験である。
食を絶つという行為は、単なる消極的な制限ではない。
それは、身体と脳が極限の状況においてどこまで柔軟に適応し、どのような変化を遂げるのかを明らかにする、極めて精緻な“人間の観察”でもある。
■ 被験者――順応性の高い身体と精神
本研究には、20歳から30歳の健康な男性ウェイトリフター9名が参加した。いずれも3年以上のレジスタンストレーニング歴を有し、肉体的にも精神的にも高い順応性を持つ層である。彼らは、通常の食事を摂る「ベースライン期間」と、48時間にわたる完全断食(水のみ摂取)を比較する「被験者内比較法(within-subjects design)」に基づいて観察された。
■ 身体の変化――速やかな代謝シフト
まず、体重は89.3±12.8kgから86.8±12.0kgへと減少(p = 0.003, Cohen’s d = 0.24)、BMIも27.3から26.4へと低下した(p = 0.001, d = 0.20)。これは主にグリコーゲンと水分の喪失によると考えられるが、早くもエネルギー貯蔵の枯渇が進んでいることを示している。
血糖値は4.81±0.65 mmol/Lから3.74±0.60 mmol/Lへと有意に低下(p = 0.012, d = 0.14)し、全身の糖代謝が抑制される様子が見て取れる。さらに、収縮期血圧は120.2→115.6 mmHg(p = 0.039, d = 0.64)、心拍数は80.8→76.2 bpm(p = 0.044, d = 0.25)と、それぞれ低下。これは、交感神経活動の抑制を反映している。
とりわけ注目すべきは、前頭葉における酸素化ヘモグロビン濃度(OxyHb)の変化である。1.09±0.44μMから0.33±0.83μMへと著しく低下し(p = 0.040, d = 0.64)、血糖値との正の相関(r = 0.55)が確認された。これは、糖供給の減少が即座に脳代謝に影響を与えていることを意味する。
■ 認知の変化――意外なパフォーマンス向上
にもかかわらず、被験者たちの脳は意外な応答を示した。断食中、一部の認知機能がむしろ向上したのである。
たとえば、認知的柔軟性を測るTCRTT課題では、反応時間が493.6→453.0msへと短縮(p = 0.049, d = 0.56)。状況に応じて思考を切り替える能力を測る「スイッチング課題」でも、2278.6→1937.5msへと劇的に改善された(p = 0.004, d = 0.98)。前頭葉の酸素化が低下しているにもかかわらず、パフォーマンスが向上していたという事実は、断食中の脳が“高効率モード”へとシフトしている可能性を示唆している。
これは、エネルギー源がグルコースからケトン体へと切り替わり、脳の代謝が再構成されたことによるものと考えられる。加えて、内省や記憶形成に関わる「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が一時的に抑制されていた可能性も指摘されている。
■ 主観的感覚――飢餓と怒りのあいだで
一方、被験者の主観的空腹感は急上昇した。空腹スコアは42.8→77.2(p = 0.045, d = 1.71)、満腹感は40.6→1.7(p = 0.001, d = 3.10)と、断食の影響は明確である。
感情面では、「怒り(anger)」のみが有意に増加(p = 0.039, d = 1.09)し、空腹が情動制御に直結することが浮き彫りとなった。対照的に、抑うつ(depression)、不安(anxiety)、疲労(fatigue)などの指標には有意な変化は見られなかった。これは、参加者の身体的な順応性の高さ、および断食が短期間であったことに起因していると考えられる。
断食とは、「足りなさ」によって自分を知ることでもある。
それは、過剰に囲まれた日常では見えなかった、自分の内なる声を浮かび上がらせる。
そして、その沈黙の中で、脳と身体は新たな均衡点を見つけ出してゆく。
飢えの中にも、秩序がある。その秩序こそが、私たちの生存を支える知性のかたちなのかもしれない。
制裁でなく精密さ――ダイエットの再設計
「ダイエット」という言葉には、どこか抑圧的な響きがある。
甘いものを我慢し、炭水化物を断ち、夕食を抜く――それらは「健康」の名のもとに課される、ささやかな自己罰のようでもある。
けれども、食を制限するという行為は、本来もっと複雑で、精密な設計を必要とする。
それは、生理、心理、環境、そして記憶や信念までも巻き込んだ、きわめて高度なフィードバック制御であるべきなのだ。
■ 食とは「フィードバック制御系」である
人は、ただ空腹になって食べ、満腹になってやめるのではない。
その背後には、視床下部を中心とした神経ネットワークが働いており、レプチンやグレリン、インスリンといったホルモンが絶えず情報をやり取りしながら、摂取と消費のバランスを調整している。
たとえば、グレリンは胃から分泌され、「そろそろ食べよう」と脳にささやきかける。一方、食後にはレプチンが脂肪細胞から放たれ、「もう十分だ」とブレーキをかける。このような調整は、カロリーの量だけでなく、記憶・感情・環境刺激といった認知的要因にも影響を受ける。
実際、記憶を失った患者は、満腹の直後でも再び食べようとすることがある。つまり、「食べたことを覚えているかどうか」すら、食行動の制御に深く関わっているのである。
■ 栄養の二重負担という現代のパラドクス
21世紀を生きる私たちは、過剰と欠乏という二つの飢えに同時にさらされている。
世界ではいまも8億人以上が栄養不足に苦しむ一方で、20億人以上が過栄養――つまり肥満や生活習慣病のリスクを抱えている。
この「栄養の二重負担(double burden of malnutrition)」は、個人の努力や意志では到底解決できない。そこには、都市の構造、食品産業、教育、政策といった構造的な要因が複雑に絡み合っている。
このような状況が生む経済的損失は、世界全体で年間5.5兆ドル(約850兆円)にのぼるとされている(世界銀行, 2016)。
すなわち、食の問題は単なる健康の課題ではなく、国家の発展すら左右する深刻な社会的テーマなのだ。
■ 精密な介入――「脂肪を減らす」ではなく「機能を守る」
科学的な視点から見ると、ダイエットの本質は「制限」ではない。それは、「どの組織を、どの順序で、どれだけ減らすか」という戦略的再構成に他ならない。
先に述べたように、除脂肪体重(FFM)の減少は、脳にとって深刻な危機信号となる。Turicchiらの研究では、FFMの損失が大きいほど、食欲の反動やリバウンドが強くなることが示されている。
これを防ぐには、以下の要素を含んだ「質の高い減量(high-quality weight loss)」が必要である:
- たんぱく質の十分な摂取
- レジスタンストレーニングの併用
- 急激なカロリー制限の回避
- 睡眠・ストレス管理による代謝保護
特に注意すべきは、過去に何度もダイエットとリバウンドを繰り返した人ほど、代謝が適応しやすく、次第に「痩せにくく太りやすい身体」へと変化していくという事実である。
ゆえに、「最初の減量」においてどれだけ精密な設計ができるかが、将来の成否を大きく左右する。
■ 文化的文脈への適応――「語り」からはじまる介入
日本における摂食障害の多くは、思春期の女性に集中している。
そこには、家庭環境、学校文化、外見への社会的期待といった、きわめて日本的な要因が存在する。
したがって、欧米で開発された認知行動療法(CBT)をそのまま導入しても、十分な効果が得られるとは限らない。むしろ、日本特有の「恥の文化」や「他者との調和志向」を踏まえたナラティブ志向の介入――つまり、患者自身が自らの物語を語り直すプロセスが、より根本的な変容を促す可能性を持つ。
また、高所得国である日本においても、生活困窮世帯に見られる「隠れ栄養失調(hidden hunger)」は深刻な問題であり、子どもの学力や発達に長期的影響を及ぼしている。ここには、栄養教育だけでなく、フードバンクや地域支援の整備といった政策的対応が急務となっている。
ダイエットとは、食を減らすことではない。
それは、身体の言葉に耳を澄ませ、脳の警報に丁寧に応え、文化の文脈のなかで自己を再構築していく――
ひとつの精密な「対話」である。
私たちが食とどのように向き合うかは、単に健康を左右するだけでなく、
どのように生きようとするかという「意志」の表明そのものなのだ。
飢えのスペクトラム――生理学と意味の交差点
飢えとは、ただ空腹を知らせる合図ではない。
それは、生の維持を要求する本能であり、ときに文化や信念に歪められる、きわめて複雑な「意味の感覚」でもある。
私たちは、「腹が減る」という単純な現象を通して、身体の声だけでなく、記憶の断片や社会の圧力、あるいは自己評価の揺らぎといった、無数の内的現実と出会う。飢えとは、単一の感覚ではなく――スペクトラム(連続体)なのだ。
■ 飢えは「信号」であり「症状」でもある
生理学的に見ると、飢えは主に視床下部が制御しており、グレリンというホルモンの上昇によって空腹感が引き起こされる。グレリンは胃から分泌され、血流を通じて脳に到達し、「食べよ」という強烈な信号を発する。
満腹時には、これに拮抗するかたちで、レプチンやインスリンといったホルモンが「もう食べるな」と抑制信号を送る。このように、飢えはホルモンと神経のネットワークが調和を保つための、精密な調整装置である。
しかし、この「飢えの回路」は、常にそのまま機能するわけではない。
たとえば、神経性無食欲症(AN)の患者では、グレリンの濃度が高くても、空腹感そのものを「感じない」あるいは「否認する」といった逆説的な状態が報告されている。
ここでは、飢えという生理的感覚が、認知や信念によってフィルターを通され、知覚そのものが書き換えられている。
■ 飢饉と「飢えによる再構築された脳」
飢饉のような極限状態では、飢えは単なる身体の状態ではなく、「生存の危機」という強烈な現実そのものとなる。
ミネソタ飢餓実験では、体重を25%以上失った被験者たちが、強い食物への執着、情緒の枯渇、社会的孤立といった心理的変容を経験した。これは単なる心理的反応ではなく、飢餓による脳の再構築(neural remodeling under starvation)の現れと考えられる。
一方で、現代の「治療的減量」における飢えは、比較的安定しており、危機として認識されにくい。なぜなら、体脂肪が十分に蓄積されている場合、脳はそれを「即時の生存リスク」として認識しないからである。
同じカロリー不足でも、その文脈と身体構成によって、飢えの意味はまったく異なる。
■ 除脂肪体重の減少は「脳にとっての危機信号」
近年の研究では、特に除脂肪体重(FFM)の減少が、脳にとって「生命の危機」として強く認識されることが明らかになっている。
Turicchiらによる研究では、FFMの損失量が多いほど、減量後の食欲が顕著に増加し、体重の再増加(リバウンド)のリスクが高くなる傾向が見られた。
つまり、身体は脂肪よりも「機能的組織(筋肉や臓器)」の損失に対して、より敏感に反応している。
この視点に立てば、減量の「質」とは、単に脂肪を何キログラム減らすかではなく、どれだけFFMを守るかということが、本質的な問いになる。
脂肪は予備燃料であり、FFMは生命維持の“エンジン”である。エンジンが損なわれれば、脳は全力でそれを回復しようと、猛烈な食欲というかたちで指令を送るのだ。
■ 飢えのリバウンド――食べすぎへの揺り戻し
飢えのもう一つの顔――それは、制限の後に訪れる過食(リバウンド)である。
1945年のミネソタ実験では、断食から解放された被験者たちが、平均で15kg以上を一気に増加させ、元の体重を一時的に超えてしまう「オーバーシュート効果(overshoot effect)」が観察された。これは、単なる食欲の暴走ではなく、身体が「再建」に必要なエネルギーを必死に取り戻そうとする、生理的防衛反応である。
特にFFMを回復させるには、大量のカロリーが必要であり、それに付随して脂肪も同時に蓄積される。逆説的だが、脂肪を落とすにはまず脂肪が増えるという不可避の道が存在する。
さらに、再栄養期には「リフィーディング症候群(refeeding syndrome)」と呼ばれる致命的な代謝障害が発生するリスクがある。これは電解質バランスの急激な変化により、心停止や多臓器不全を引き起こすものであり、制限後の「回復食」は、医療的な慎重さをもって管理されるべきである。
■ 飢えは、意図か、強制か
ここで重要なのは、「意図的な飢え(intentional hunger)」と「強制的な飢え(forced hunger)」を区別することである。
宗教的な断食や、信念に基づいたハンガーストライキは、飢えに意味と目的を与え、主体的な選択として位置づけられる。それゆえ、苦しみの中に「コントロール感」があり、ある種の耐性を生み出す。
一方で、戦争、貧困、摂食障害といった状況における飢えは、「逃れられない苦痛」として経験される。そこには、身体と心を守る防壁がなく、飢えが記憶に深く刻まれ、「過剰な節制」「隠し食い」「食料の執着」といった行動として長期的に残ることがある。
飢えとは、単なる感覚ではなく、生理と意味が交差する場所である。
それをどう感じ、どう位置づけ、どう語るか――そのすべてが、食行動をかたちづくる要因となっていく。
そして、「飢え」をどう理解し、どう調整するかは、
「何を食べるか」ではなく、「どう生きようとするか」という問いそのものである。
新しいパラダイムへ――学際的ツールとしてのダイエット
私たちはこれまで、ダイエットという言葉を、「栄養の調整」あるいは「体重を減らす手段」として語ってきた。
しかし、この単語が孕む意味は、もっと広く、もっと深い――。
食べることは、身体の問題であり、心の問題であり、社会と文化の問題である。
だからこそ、ダイエットは学際的なツールとして再定義されるべきだ。
それは、認知科学、神経生理学、文化人類学、公衆衛生学といった領域を横断する、総合的な問いへの入り口となりうる。
■ 「なぜ人は食べるのか」から、「何が人を食べさせるのか」へ
従来の問い――「なぜ食べるのか」――は、個人の動機に焦点を当てていた。
しかし、ここで立ち返るべきは、もっと根源的な問いである。
「食べるという行為は、どのような要素の総和によって決定されているのか?」
味覚、栄養素、空腹感――それらだけでは説明しきれない「背景」が、常に私たちの選択に影を落としている。そこには、文化の記憶、家庭の雰囲気、身体への期待、メディアが映す理想像、他者からの視線、そして過去の経験が絡み合っている。
食行動とは、ただの「生理」ではなく、生き方の文法そのものなのだ。
■ 食行動は認知であり、文化である
人は、「空腹だから食べる」のではない。
むしろ、「食べるべき時」「食べるべきもの」「食べるべき量」を、社会の中で学習し、それに適応している。
たとえば、ある子どもが野菜を嫌うとき、それは味そのものへの拒否ではなく、親の表情、食卓の雰囲気、報酬の与え方など、社会的要因が積み重なった結果である。
また、SNSやテレビに映る“理想の体型”は、若者の食選択を無意識のうちに方向づける。摂食行動は、身体の欲求ではなく、社会の期待に応答する言語でもある。
このような文化的・認知的要因を無視したダイエットは、たとえ短期的に成功しても、持続性に乏しく、反動を引き起こす。
抑圧された欲求は、やがて「過食」というかたちで跳ね返ってくる。
■ 脳が食べ方を決める/食べ方が脳を変える
脳と食行動の関係は、一方通行ではない。
食べるという行為は、脳の構造と機能を変え、脳の状態は再び食行動を形づくる。
高脂肪・高糖質の食事は、報酬系を過剰に刺激し、前頭前野の制御機能を弱める可能性がある。
一方で、断続的断食やカロリー制限は、神経成長因子(BDNF)の発現を促進し、記憶を司る海馬の機能を保護するとされている。
だが、それは誰にでも同じように作用するわけではない。
脳と食の相互作用は、文脈と個体差に強く依存する。
ある人にとっては断食が集中力を高めるが、別の人には情緒不安定を引き起こす。
その違いは、遺伝的要素、精神的脆弱性、ホルモン環境、そして経験の積み重ねによって生じる。
■ ダイエット介入は「筋肉を守ること」から始まる
従来のダイエットは、「いかに脂肪を減らすか」に焦点を置いてきた。
しかし、現代の科学は明確に語る――「除脂肪体重(FFM)を維持しながら脂肪を落とす」ことこそが鍵である、と。
たんぱく質の最適化、筋力トレーニング、急激な制限の回避、そして十分な睡眠とストレス管理。
これらの要素は、「脳に危機を感じさせない減量」を実現するための必要条件である。
本当に意味のあるダイエットとは、「脳を安心させながら、身体を変えていく」ことなのだ。
■ 非西洋社会における食と治療モデルの再設計
日本をはじめとする非西洋圏では、食と身体に対する価値観が欧米とは異なる。
たとえば、日本社会に深く根づく「対人調和志向」や「家族中心主義」、「恥の文化」は、治療への抵抗や表現の抑制を生み出しやすい。
欧米由来の認知行動療法(CBT)をそのまま適用するだけでは、患者の語る“物語”に十分に寄り添えないことがある。
だからこそ求められるのは、「意味の共有」と「文化への翻訳」を軸にした介入である。
摂食制限を「自己罰」としてではなく、「自己尊重」「回復」「つながり」として捉え直す視点――
それが、治療の最初の扉を開く鍵になる。
ダイエットとは、食の制限ではない。
それは、自己と脳と文化を対話させながら、「生き方」を調律するプロセスである。
そこに必要なのは、意志ではなく、理解と構造、そして思いやりである。
おまとめ:理解と調和のダイエット――脳と文化を養うために
食べること。
それは、あまりにも日常的で、あまりにも人間的な営みである。
けれど、その「日常」のなかには、身体の精緻な調律があり、脳の緻密な信号交換があり、文化の歴史と価値観が脈打っている。
「食べる/食べない」という行為には、単なる摂取と消費の論理では捉えきれない、驚くほど深く、広く、そして繊細な意味が宿っている。
この論考を通して私たちが辿ってきたのは、「食」をめぐる新たな地図である。
そこには、摂食障害の歴史的痕跡があり、飢饉という極限の現象があり、現代のダイエットの迷宮があり、脳と記憶と感情の交差点があった。
そして、そこから浮かび上がったのは、ひとつのシンプルで確かな真理だった。
食とは、エネルギーだけでなく「意味」を摂取する行為である。
ダイエットとは、本来、自己を罰する儀式でも、美のための試練でもない。
それは、自分の身体の声に丁寧に耳を澄ませ、脳の恐れを理解し、文化の中で受け継がれてきた「食の物語」を再び自分のものとして語り直すこと。
つまり、食行動の再設計とは、自己との関係性を再編成する営みである。
そのためには、構造が要る。知識が要る。何よりも、優しさと調和への意志が要る。
この時代、私たちは二つの飢えに晒されている。
ひとつは、栄養不足という物理的飢え。もうひとつは、意味の欠乏という精神的飢えである。
食べることを通して、私たちは自己と向き合い、社会と関わり、未来を形づくる。
だからこそ、ダイエットは「意志の実験」ではなく、「戦略的設計」でなければならない。
それは、身体を傷つけることなく、脳に過剰な恐れを抱かせることなく、食とともに人間らしく生きる術を探す旅であるべきなのだ。
食べることは、いつだって「生きること」と結びついている。
それは、記憶をたぐり寄せ、関係を繋ぎ直し、文化を養う、もっとも人間らしい行為のひとつだ。
そして私たちの未来の「食の科学」に求められるのは、栄養の計算ではなく、
その「意味」とどう向き合い、どう育てるかという、思索のまなざしである。
ここに記したことが、あなたの「食べること」への理解に、新しい色を添えることができたなら――
それは、この旅の、静かな実りです。
マンジャロとは?
マンジャロ(一般名:チルゼパチド)は、GLP-1受容体とGIP受容体という二つのインクレチンホルモンの作用を同時に高める新しい注射製剤です。これらのホルモンは、脳の満腹中枢や報酬系に直接作用し、食欲を抑えつつ、食事から得られる満足感を調整します。従来の食事制限は「意志の力」に依存する部分が大きく、文化的な食習慣や感情的な要因がしばしば壁となってきました。マンジャロは、その行動の背景にある生理的信号を変化させるため、食べ方や量のコントロールがより自然に行えるようになります。また、GLP-1による血糖コントロールとGIPによる脂肪代謝改善が同時に働くことで、単なる減量にとどまらず、代謝全体の質を向上させます。これにより、「食べること」を単純なカロリー計算ではなく、脳と体の対話として捉え直す新たなアプローチが可能となるのです。
マンジャロの効果
マンジャロの最大の魅力は、その効果が「体重減少」と「代謝改善」の双方に及ぶ点です。国際的な臨床試験では、平均して投与後72週間で体重の15〜20%減少が見られ、HbA1cも大きく改善しました。これは単なる見た目の変化だけでなく、内臓脂肪の減少、血糖・血圧・脂質の正常化といった健康寿命延伸にも直結します。興味深いのは、その作用が脳の食欲調節ネットワークに及ぶことです。報酬系の過剰な活性を抑え、食事への衝動や「つい食べてしまう」行動を減らすことで、長期的な生活習慣の変化を後押しします。文化的背景や個々の食の価値観に合わせつつ、無理なく食行動を変えられる点は、まさに「食べることの哲学」と「科学」の融合です。マンジャロは、体のためだけでなく、心のあり方や日々の食との向き合い方をも変える可能性を秘めています。
引用文献
- Stevenson, Richard J., and John Prescott. ‘Human Diet and Cognition’. WIREs Cognitive Science, vol. 5, no. 4, July 2014, pp. 463–75. DOI.org (Crossref), https://doi.org/10.1002/wcs.1290.
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