この記事の概要
「薄毛はもう防げない」とあきらめていませんか? 今、幹細胞療法やPRP(多血小板血漿)治療、さらには遺伝子研究の進歩によって、髪の毛を再び生やすための新しい医療が現実のものとなりつつあります。ロンドンの毛髪研究の第一人者・ヒギンズ博士の解説をもとに、難しい用語もやさしく解説。髪の未来が変わる、希望のストーリーをお届けします。
幹細胞、PRP、遺伝子研究——薄毛治療の未来をひらく最前線

髪の毛が生えてこなくなったり、細くなったりすると、多くの人が不安を感じますよね。特に加齢やストレス、遺伝による薄毛は、気づかぬうちに進行していくことが多く、「どうしてこんなことに…」と鏡の前でため息をつく方も少なくありません。そんな中、世界中の研究者たちは「再び髪が生える未来」を目指して、日々さまざまな研究に取り組んでいます。
今回は、ロンドンの名門インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London)で生体工学(Bioengineering)を専門とするクレア・ヒギンズ博士(Dr. Claire Higgins, PhD)のお話をもとに、「幹細胞療法(Stem Cell Therapy)」「PRP療法(多血小板血漿療法:Platelet-Rich Plasma)」、そして「遺伝子の働き」について、わかりやすく、そして少しドラマチックにご紹介します。
クレア・ヒギンズ博士とは?──髪に魅せられた研究者の物語

ヒギンズ博士が髪の研究に興味を持ったのは、意外にも「個人的な好奇心」から始まりました。もともと髪や頭皮に関することに関心があり、その思いを深めていくうちに、イギリスのダラム大学で「脱毛」や「毛の再生(neogenesis)」に関する研究に打ち込むようになったのです。
その後、ニューヨークの名門・コロンビア大学(Columbia University)では「毛周期(hair cycle)」——つまり、髪が生えて抜けて、また生えるという一連のサイクル——について研究を進める一方、「毛の長さ」に影響を与える遺伝性の疾患にも関心を広げていきました。
2013年には、ロンドンに自身の研究室「皮膚再生ラボ(Skin Regeneration Laboratory)」を設立。ここでは皮膚と毛髪をひとつの“再生のモデル”として捉え、未来の医療に役立てようという挑戦が続けられています。
どうして「髪のクローン」はまだ実現しないの?
「髪の毛って、クローン技術で再生できないの?」「50年前にはマウスで成功したって聞いたけど…」こんな疑問を抱いたことはありませんか?実際、1960年代にはマウスの毛包細胞(毛の根元の細胞)を使って新しい毛を生やす実験が成功していました。
しかし、こと人間の髪となると、話はそう簡単ではありません。ヒギンズ博士は、「毛髪研究」と「組織工学(Tissue Engineering)」という2つの学問がまだ完全に融合していないことが、最大の課題だと語ります。
毛髪の研究は100年以上の歴史を誇り、髪の成長の仕組みやホルモンの影響について、多くのことが分かってきています。一方、組織工学とは、細胞を使って人間の組織や臓器を人工的に“育てる”ための比較的新しい分野で、その歴史はわずか30年程度。
この2つの分野が本格的に手を取り合えば、人間の毛包を再構築し、文字どおり「髪を再び生やす」ことが現実になるかもしれないのです。
髪を生やすための三本柱:「細胞」「シグナル」「スキャフォールド」
組織工学を語るうえで欠かせないのが、「細胞(Cells)」「シグナル(Signals)」「スキャフォールド(Scaffolds)」という3つの要素です。これらは、毛を再生するための“三本柱”といえる存在です。
細胞(Cells)──発毛の火種
まず必要なのが、「毛を生やす能力」を持つ細胞です。具体的には「真皮乳頭細胞(dermal papilla cells)」という毛包の根元にある特殊な細胞が注目されています。これらの細胞は、周囲に“生えろ!”というシグナルを出して、新しい毛を育てる命令を出すことができます。
シグナル(Signals)──髪に指令を出す“メッセージ”
細胞が出す「シグナル」は、いわば髪を動かす“命令メール”のようなもの。毛包に「もっと成長していいよ」「まだ抜けないで!」と伝えることで、髪の成長期を延ばしたり、抜け毛を遅らせたりすることができます。
このシグナルが十分に働かないと、毛はどんどん細く、短く、弱くなってしまうのです。
スキャフォールド(Scaffolds)──細胞の“お家”
細胞は、どんな環境で育つかによって、その働きが大きく変わります。そこで必要になるのが「スキャフォールド」と呼ばれる三次元構造の“足場”。これは人工的に作られた細胞の住み家で、毛包に似た構造を模倣しています。スキャフォールドがうまく設計されることで、細胞は自然のように毛を育てる働きを再現できるのです。
幹細胞療法とは?──「万能細胞」は髪に効くのか?
最近、「幹細胞を使った育毛治療」が話題になっています。でも、「幹細胞って何?本当に髪が生えるの?」と疑問を感じる方も多いでしょう。
幹細胞とは、さまざまな細胞に分化できる“未来の細胞”です。たとえば、脂肪や血液から採取できる幹細胞は、髪の毛の細胞に直接変化するわけではありませんが、「パラクライン効果(Paracrine Effect)」と呼ばれる間接的な働きを持っています。
この効果によって、幹細胞は周囲の細胞に「元気になれ!」というシグナルを出し、毛包が成長期を長く保つよう促します。ただし、既にミニチュア化した毛包(=細く弱くなった毛)は元に戻せるわけではなく、「抜けるのを遅らせる」「休止期に入るのを防ぐ」といった“時間を稼ぐ”治療といえます。
PRP療法とは?──自分の血液で髪を元気に?
PRP(多血小板血漿)療法は、自分の血液を遠心分離して、血小板が多く含まれた部分だけを取り出し、それを頭皮に注入する治療法です。血小板には傷を治したり、細胞を活性化させる「成長因子(Growth Factors)」が豊富に含まれており、それが毛包に良い影響を与えると考えられています。
こちらも幹細胞療法と同じく、パラクライン効果によって「髪の成長期を延ばす」「毛包の萎縮を遅らせる」といった作用が期待されています。
ただし、「魔法のように髪がフサフサになる」というわけではなく、毛周期のタイミングや個人の体質によって効果には差があります。つまり、正しいタイミングと継続的な治療が重要なのです。
遺伝子と髪の関係──「DNAに刻まれた運命」は変えられるのか?
多くの人が気になるのが、「遺伝による薄毛は防げるのか?」ということ。確かに、脱毛症には遺伝的な要素が大きく関係しています。でも、実はそれだけではないのです。
人間の細胞はすべて同じDNAを持っていますが、どの遺伝子が「オン」になるか「オフ」になるかは、環境やシグナル、ストレスなどによって変化します。これを「遺伝子発現(Gene Expression)」といいます。
さらに「エピジェネティクス(Epigenetics)」と呼ばれる分野では、遺伝子そのものが変わらなくても、その働き方が外的要因によって変わることが分かってきました。たとえば、生活習慣、食事、睡眠、ストレスなどが遺伝子のスイッチに影響を与え、髪に影響を及ぼしている可能性があるのです。
つまり、たとえ薄毛になりやすい遺伝子を持っていたとしても、「それが発現しないようにコントロールする」ことは、理論的には可能だということです。
髪の未来──夢の「薄毛治療」は実現するのか?
ヒギンズ博士は、将来的に「遺伝性の薄毛に対する根本的な治療法」が実現する可能性は十分にあると語ります。そのカギとなるのが以下の2点です。
- 人間の毛包細胞を使った研究の進展
動物モデルから離れ、ヒト由来の細胞を使った研究が進むことで、より実用的な治療法の開発が期待されています。 - 基礎研究と臨床現場の連携
植毛専門医と大学の研究者がタッグを組み、基礎から実用へと橋渡しする体制が、いま世界中で急速に広がっています。
こうした取り組みが積み重なれば、「一度の治療で薄毛の悩みから解放される未来」は、決して夢物語ではないかもしれません。
さいごに:科学が届ける、新たな「希望の毛」
髪は、見た目だけでなく、自信や気持ちにも大きな影響を与える存在です。そしてその髪を再び取り戻すための研究は、今まさに目覚ましい進歩を遂げています。
幹細胞、PRP、そして遺伝子という複雑で高度な領域の話ではありますが、その根底には「人々を笑顔にしたい」「自信を取り戻してほしい」というシンプルな願いが込められています。
鏡の前でため息をつく日々は、もうすぐ終わるかもしれません。科学の力が、きっとあなたの未来を変えてくれるはずです。







