HRTの背景と意義
閉経は女性の生理的なライフイベントであり、平均的には日本人女性で50歳前後に迎えるとされています。閉経に伴い卵巣機能が低下し、卵胞ホルモン(エストロゲン)の分泌が急激に減少することで、多くの女性に更年期症状が出現します。
ほてり(ホットフラッシュ)、発汗、動悸、不眠、気分変動といった自律神経症状に加え、膣の乾燥や性交痛、頻尿などの泌尿生殖器症状、さらに長期的には骨粗鬆症や心血管疾患のリスク増加が問題となります。日本産科婦人科学会(JSOG)や北米更年期学会(NAMS)は、こうした症状や健康リスクに対する治療選択肢の一つとしてホルモン補充療法(HRT: Hormone Replacement Therapy)を推奨しています。
HRTは1960年代に導入され、当初は「閉経後の女性に健康と若さを取り戻す治療」として広く普及しました。しかし2002年、米国で行われた大規模臨床試験「Women’s Health Initiative(WHI)」の結果、エストロゲンとプロゲスチンの併用療法で乳がんや血栓症のリスクが増えると報告され、一時期HRTの使用は世界的に急減しました。
その後の解析で、HRTのリスクは「開始年齢」「閉経からの経過年数」「投与経路」によって大きく変わることがわかり、近年は「適切な対象に、適切な方法で使用すれば有益性がリスクを上回る」と再評価されています。
このような背景から、現在のHRTは「強い更年期症状に悩む閉経前後の女性に対して、短期間・適切に使用すること」が基本方針とされ、さらに骨粗鬆症予防を目的とした長期使用についても、個々のリスク評価を前提に検討されるようになっています。
HRTの基本概念と適応
適応
- 中等度〜重度の更年期症状(ホットフラッシュ、発汗、不眠など)
- 閉経後の骨粗鬆症予防(特に他の治療が困難な場合)
- 膣の乾燥、性交痛などの泌尿生殖器症状(特に局所エストロゲン製剤が有効)
禁忌
- 乳がん、子宮体がんの既往
- 血栓塞栓症の既往(深部静脈血栓症、肺塞栓症など)
- 重度の肝疾患
- 原因不明の不正性器出血
使用の基本原則
- 閉経から10年以内、または60歳未満で開始することが推奨。
- 最低有効量を用い、定期的に効果と副作用を評価しながら継続の可否を判断する。
- 乳がんや血栓症リスクの高い女性には慎重投与または回避。
エストロゲン製剤
エストロゲンの生理的役割
エストロゲンは女性の生殖機能にとどまらず、全身の多様な組織に作用します。血管拡張作用を持ち、骨吸収を抑制し、皮膚や粘膜を保護する役割を果たします。閉経によりエストロゲンが枯渇すると、これらの保護効果が失われ、更年期症状や骨粗鬆症、動脈硬化の進行などが生じます。
HRTにおいて、エストロゲン補充は最も効果的に更年期症状を改善する手段であり、特にホットフラッシュや発汗などの血管運動症状に対しては80〜90%の症例で有効性が確認されています。
エストロゲン製剤の種類
1. 経口製剤(内服薬)
- 結合型エストロゲン(CEE: Conjugated Equine Estrogen)
- 代表的商品:プレマリン®
- ウマ由来の複合エストロゲン。古くから使用されており、WHI試験でも用いられた。
- 代表的商品:プレマリン®
- エストラジオール錠
- 代表的商品:ジュリナ®
- 生体内エストロゲンと同一構造を持つ。
- 代表的商品:ジュリナ®
特徴
- 服用が簡単で使いやすい。
- ただし肝臓での初回通過効果により、血中凝固因子の増加や中性脂肪上昇がみられ、血栓症リスクが高まる。
エビデンス
WHI試験では、CEE単独群で骨折リスク低減(股関節骨折 33%減少)が示された一方、脳卒中や静脈血栓症リスクが増加した。
2. 経皮製剤(貼付薬・パッチ・ジェル)
- エストラジオール貼付薬(エストラーナ®)
- エストラジオールジェル(ディビゲル®)
特徴
- 皮膚から直接血中に吸収され、肝臓を経由しない。
- 血中濃度の変動が少なく、血栓症や脂質代謝への影響が少ない。
- 貼付部の皮膚炎やかぶれが出ることがある。
エビデンス
大規模コホート研究において、経皮エストロゲンは経口エストロゲンと比較して静脈血栓症リスクを有意に増加させないことが示されている。
3. 局所製剤(膣錠・膣クリーム)
- 主に萎縮性膣炎、性交痛、頻尿などの泌尿生殖器症状に使用。
- 全身への吸収は少なく、乳がん既往患者にも使用できる場合がある(必ず専門医判断が必要)。
エストロゲン製剤のメリットとリスク
メリット
- 更年期症状の改善(ホットフラッシュ、発汗、不眠など)
- 骨粗鬆症予防(骨密度維持・骨折リスク減少)
- 膣や尿路の萎縮症状改善
リスク
- 経口製剤では血栓症リスク上昇(特に喫煙者・肥満女性)
- 長期投与で乳がんリスクがわずかに増加(特にプロゲスチン併用時)
- 子宮体がんリスク(エストロゲン単独投与時)
プロゲスチン製剤
医学的背景
エストロゲンを単独で補充すると、子宮内膜が過剰に増殖し、子宮体がんリスクが増加します。これを防ぐために、子宮が残っている女性には必ずプロゲスチン(黄体ホルモン)を併用します。
エビデンス
複数のコホート研究で、エストロゲン単独療法は子宮体がんリスクを2〜10倍に増加させると報告されています【NICE 2019】。一方、エストロゲン+プロゲスチン併用療法ではリスクは抑制されることが示されています。
プロゲスチン製剤の種類
- 経口プロゲスチン
- ジドロゲステロン(デュファストン®)
→ 自然黄体ホルモンに近い作用。副作用が少ない。 - ノルエチステロン
→ 強力な作用があるが、時に体重増加やむくみを伴う。
- ジドロゲステロン(デュファストン®)
- 子宮内黄体ホルモン放出システム(LNG-IUS: ミレーナ®)
- 子宮内に装着し、局所的にホルモンを放出する。
- 避妊効果もあり、不正出血が少なくなる。
- 日本でも「HRT用」「避妊用」として広く用いられている。
- 子宮内に装着し、局所的にホルモンを放出する。
患者さん向け解説
「エストロゲンだけだと子宮の壁が厚くなりすぎてがんのリスクが高くなるので、バランスをとるために『もう一つのホルモン(プロゲスチン)』を足す必要がある」と考えるとわかりやすいでしょう。
もし「子宮を手術で取っている」場合は、そもそも子宮内膜増殖の心配がないため、プロゲスチンは不要となり、エストロゲン単独療法が可能です。

HRTの併用療法のパターン
周期的併用法
- 一定期間エストロゲンを投与した後、プロゲスチンを追加。
- 定期的に「生理のような出血」が起きる。
- 更年期移行期(閉経前後)によく使われる。
連続併用法
- エストロゲンとプロゲスチンを毎日一緒に使う。
- 出血がなく、閉経後の女性に適している。
患者さん向け解説
「まだ閉経したばかり」の人には周期的に併用する方法が向き、「閉経から年数が経っている」人には毎日続けて飲む(出血がない)方法が向いています。
「毎月のように出血があると面倒」という方もいますが、それは子宮を守るために必要な仕組みであり、年齢や症状に応じて出血のない方法に切り替えが可能です。
HRTのリスクについて
ホルモン補充療法(HRT)は、更年期症状を改善し骨や血管の健康を守る有力な治療ですが、その一方で副作用や長期的リスクについて多くの議論がなされてきました。特に2002年に発表された米国の大規模研究「Women’s Health Initiative(WHI)」の結果は、世界中に衝撃を与え、HRTの使用を大きく減少させるきっかけとなりました。そこでは乳がんや心血管疾患、脳卒中のリスク増加が報告されました。しかしその後の詳細な解析や新しい研究で、「どのような人に、どの時期に、どの投与方法で使うか」によってリスクの大きさは大きく異なることが明らかになっています。ここでは、エビデンスに基づいてHRTのリスクを整理し、同時に患者さんにとって理解しやすい言葉で解説を加えます。
まず乳がんリスクについて。WHI試験では、結合型エストロゲン(CEE)とメドロキシプロゲステロン酢酸塩(MPA)を併用した群で、乳がん発症率が統計的に有意に増加しました(ハザード比1.24, 95%CI 1.01–1.54)。つまり約24%リスクが高まったという結果です。一方で、エストロゲン単独群(子宮摘出済みの女性)では乳がんリスクはむしろ減少傾向が認められています。近年のメタ解析でも「長期間のエストロゲン+プロゲスチン併用は乳がんリスクをわずかに上げるが、開始年齢や投与期間によってリスクの大小が変わる」と結論づけられています。
ここで患者さん向けにかみくだくと、「ホルモン治療をするとすぐにがんになる」という話ではありません。リスクが上がるのは長期間(5年以上など)使った場合や、乳がんになりやすい体質をもともと持っている人の場合です。しかも「数十パーセント増える」というのは、もともとのリスクが高い人には影響が大きいですが、そうでない人にとっては絶対数としては小さいのです。例えば50歳の女性1,000人を10年間観察すると、HRTを使わない場合に乳がんになるのはおよそ30人前後ですが、HRTを使った場合に増えるのはそのうち数人程度とされています。つまり「ゼロではないが過度に恐れる必要もない」リスクと理解できます。
次に血栓症のリスクです。経口エストロゲン製剤は肝臓を経由して代謝される際に凝固因子を増やし、静脈血栓塞栓症(VTE)のリスクを高めることが知られています。WHIや観察研究でも、経口エストロゲンはVTEリスクを2倍程度に増加させると報告されています。一方、経皮エストロゲン(パッチやジェル)では肝初回通過効果がなく、リスクはほとんど上昇しないことがフランスの大規模コホート研究などで示されています。
これを患者さん向けに言い換えると、「飲み薬だと血が固まりやすくなるので血のかたまり(血栓)ができやすくなることがあるが、貼り薬やジェルならその心配はぐっと減る」ということです。特に喫煙している人や肥満、高血圧、糖尿病など血栓リスクが高い人は経皮投与が推奨されます。実際に日本でも、血栓症リスクの低さからパッチ製剤を第一選択にすることが多くなっています。
脳卒中のリスクについても触れておきます。WHI試験では、HRT群で脳卒中リスクがわずかに上昇しました。ただしこれも年齢や閉経からの経過年数に依存することが分かっています。閉経から長期間経過した高齢女性で開始した場合にはリスクが目立ちやすいのですが、閉経直後の女性ではリスク増加はほとんど確認されていません。
患者さん向けにかみくだくと、「年齢が上がってからホルモン治療を始めると脳卒中の危険が増える可能性があるけれど、閉経したばかりの50歳前後で始める分にはリスクはそれほど心配しなくてもよい」ということです。つまり「いつ始めるか」がとても大事になります。
最後に子宮体がんのリスクです。これはエストロゲン単独療法をした場合に大きな問題になります。エストロゲンは子宮内膜を厚くする作用があるため、単独で使うとがん化のリスクが大幅に高まります。そのため子宮が残っている女性には必ずプロゲスチンを併用しなければならない、というのが世界共通のガイドラインです。逆に言えば、このルールを守っていれば子宮体がんリスクは抑えられます。
患者さん向けに言えば、「エストロゲンは子宮の壁を厚くする性質があるので、それだけを続けると子宮の病気につながる可能性がある。でも『子宮を守る薬(プロゲスチン)』を一緒に使えば心配はほとんどなくなる」ということです。
まとめ
HRTには確かにリスクがあります。乳がんや血栓症、脳卒中、子宮体がんといった病気のリスクをゼロにはできません。しかしそれは「どの薬を、どの方法で、どの時期に、どんな人に使うか」で大きく変わるということが、近年の研究で明らかになっています。エストロゲン単独か併用か、経口か経皮か、閉経からどのくらい経っているか――これらを考慮し、医師と相談しながら使えば、リスクを最小限に抑えることが可能です。患者さんにとって大切なのは「漠然と怖がる」のではなく、自分の年齢や体質、生活習慣に応じて正しい情報を得ることです。そのうえでメリットとリスクのバランスを理解し、納得して治療を選択することがHRTの鍵となります。







