はじめに:排卵誘発剤とは?
不妊治療を始める際、多くのカップルが最初に検討するのが「排卵誘発剤」の使用です。排卵誘発剤は、文字通り女性の排卵を促すために用いられる薬で、自然な排卵が難しい方や、排卵のタイミングをコントロールしたい場合に不可欠な治療薬です。
「排卵誘発剤」と一言で言っても、その種類や使用目的は多岐にわたります。この記事では、排卵誘発剤の基礎知識から、それぞれの薬が持つ特性、そして知っておくべき副作用や注意点まで、専門的な視点から詳しく解説します。これから妊活を始める方、排卵誘発剤についてもっと知りたいと考えている方にとって、この記事が不妊治療への理解を深める一助となれば幸いです。
排卵誘発剤の目的と種類
排卵誘発剤は、不妊の原因が排卵障害にある場合に主に用いられます。しかし、原因が排卵障害だけでない場合でも、タイミング法や人工授精、体外受精といった治療の成功率を高めるために使われることがあります。
排卵誘発剤は、主に以下の2つのタイプに大別されます。
1. 内服薬(飲み薬)
比較的軽度の排卵障害や、不妊治療の初期段階で使われることが多いのが内服薬です。女性の体内に存在するホルモンの働きを調整することで、卵胞の成長と排卵を促します。体への負担が比較的少なく、自宅で服用できるため、患者さんの精神的なストレスも軽減されます。
2. 注射薬
内服薬で効果が得られない場合や、体外受精などのより高度な治療を行う際に使われるのが注射薬です。内服薬よりも直接的に卵巣に作用し、複数の卵胞を同時に成長させることが可能です。医師の管理下で投与されることが一般的で、内服薬に比べて効果が高い反面、副作用のリスクも高まります。
主要な排卵誘発剤の種類と作用機序
ここでは、日本国内でよく使用される排卵誘発剤の種類と、それぞれの薬がどのように作用するのかを専門的に解説します。

内服薬:クロミフェン製剤(クロミッド®、セロフェン®など)
【作用機序】 クロミフェン製剤は、脳にある視床下部と下垂体に作用することで、卵胞刺激ホルモン(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)の分泌を促す薬です。通常、排卵は卵胞が十分に成長した後に起こりますが、この過程には脳から分泌されるこれらのホルモンが不可欠です。クロミフェンは、視床下部にあるエストロゲン受容体をブロックすることで、脳がエストロゲン(卵胞から分泌される女性ホルモン)の量を低く感知するように作用します。これにより、脳は「エストロゲンが不足している」と錯覚し、FSHとLHの分泌を増やそうとします。その結果、卵巣が強力に刺激され、卵胞が効率的に成長し、正常な排卵を促すことができます。
【適用されるケース】
- 比較的軽度の排卵障害(多嚢胞性卵巣症候群など)
- タイミング法や人工授精の治療
- 月経不順で排卵の特定が難しい場合
【注意点】
- 子宮内膜が薄くなる可能性: クロミフェンには、子宮内膜を厚くするエストロゲンの働きを妨げる作用があるため、長期連用すると子宮内膜が薄くなり、受精卵が着床しにくくなる可能性があります。このため、連続して使用する場合は医師とよく相談する必要があります。
- 副作用: 吐き気、ほてり、頭痛、視覚異常などが報告されています。これらの症状が現れた場合は、すぐに医師に報告しましょう。
- 多胎妊娠のリスク: 複数の卵胞が同時に成長することがあるため、双子などの多胎妊娠のリスクがわずかに高まります。
内服薬:レトロゾール製剤(フェマーラ®など)
【作用機序】
レトロゾールは、本来は乳がんの治療薬として開発されましたが、不妊治療にも転用されています。これは、アロマターゼ阻害薬と呼ばれる薬で、体内のアンドロゲン(男性ホルモン)からエストロゲンへの変換を抑制する働きがあります。
体内のエストロゲンが一時的に低下することで、脳はFSHとLHの分泌を増やし、卵巣を刺激して卵胞を成長させます。クロミフェンと異なり、子宮内膜への影響が少ないため、クロミフェンで効果が見られなかった場合や、子宮内膜が薄くなる副作用が出た場合に用いられることがあります。
【適用されるケース】
- クロミフェンで効果が得られなかった場合
- 多嚢胞性卵巣症候群
- 子宮内膜を良好に保ちたい場合
【注意点】
- 副作用: ほてり、頭痛、疲労感などが報告されています。
- 保険適用外: 排卵誘発目的での使用は保険適用外となる場合があるため、費用について事前に確認が必要です。
注射薬:hMG/FSH製剤(ゴナールエフ®、フォリスチム®など)
【作用機序】
これらの注射薬は、卵胞を直接刺激する**卵胞刺激ホルモン(FSH)や、それに加えて黄体形成ホルモン(LH)**を含む製剤です。内服薬が間接的にホルモン分泌を促すのに対し、注射薬は体外から直接これらのホルモンを補給します。
これにより、卵胞が強力に刺激され、複数の卵胞が同時に成長しやすくなります。この作用は、体外受精のように多くの卵子を採取したい場合に特に有効です。
【適用されるケース】
- 内服薬で効果が得られない場合
- 体外受精や顕微授精
- 重度の排卵障害
【注意点】
- 卵巣過剰刺激症候群(OHSS)のリスク: 卵巣が過度に刺激されることで、腹部の張り、吐き気、腹水などが生じる**卵巣過剰刺激症候群(OHSS)**のリスクが高まります。OHSSは重症化すると血栓症などを引き起こすことがあり、入院が必要となる場合もあります。
- 多胎妊娠のリスク: 複数の卵胞が成長するため、多胎妊娠のリスクが非常に高くなります。
注射薬:hCG製剤(hCG®など)
【作用機序】
hCG製剤は、排卵を誘発する目的で、卵胞が十分に成熟した段階で使用されます。ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)というホルモンが含まれており、このホルモンは体内でLH(黄体形成ホルモン)と非常に似た働きをします。
十分に育った卵胞にhCGを注射すると、体はLHサージ(LHが急増すること)が起こったと認識し、注射後およそ36時間以内に排卵が起こります。これにより、排卵のタイミングを正確に特定でき、タイミング法や人工授精の成功率を高めることができます。
【適用されるケース】
- 卵胞が十分に成長しているが、自然に排卵しない場合
- タイミング法や人工授精、体外受精の排卵日特定
【注意点】
- OHSSのリスク: 他の注射薬と同様に、hCGもOHSSを引き起こす可能性があります。特にhMG/FSH製剤と併用する際は注意が必要です。
排卵誘発剤使用時のリスクと対策
排卵誘発剤は非常に有効な治療法ですが、それに伴うリスクについても正しく理解しておく必要があります。
1. 卵巣過剰刺激症候群(OHSS)
【症状】
OHSSは、卵巣が過度に刺激されて腫れ、血管内の水分が腹部や胸に漏れ出すことで引き起こされます。軽度の場合は腹部の張りや吐き気で済みますが、重症化すると腹水や胸水がたまり、腎機能障害や血栓症のリスクが高まります。
【対策】
- 医師による厳重な管理: 超音波検査で卵胞の大きさや数を細かく確認し、ホルモン値を測定しながら、投与量を調整します。
- 予防薬の使用: 重症化のリスクが高い場合は、予防薬(ドパミン作動薬など)が処方されることがあります。
- 慎重な治療計画: 採卵を延期したり、凍結胚移植を選択したりするなど、医師と相談して慎重に治療計画を立てます。
2. 多胎妊娠
【リスク】
排卵誘発剤、特に注射薬を使用すると、一度に複数の卵子が成長・排卵し、多胎妊娠のリスクが高まります。多胎妊娠は、早産や低出生体重児、妊娠高血圧症候群などのリスクを伴います。
【対策】
- 卵胞の監視: 治療中、超音波検査で卵胞の数を細かく監視し、複数の卵胞が育ちすぎた場合は、その周期の性交渉や人工授精を中止することがあります。
- 単一胚移植の推進: 体外受精では、多胎妊娠のリスクを避けるために、原則として1つの受精卵(胚)を子宮に戻す「単一胚移植」が推奨されています。
3. 精神的な負担
排卵誘発剤の使用は、ホルモンバランスの変化により、イライラ、気分の落ち込み、不安感などを引き起こすことがあります。また、治療そのものが精神的なストレスとなることも少なくありません。
【対策】
- パートナーとの協力: 夫婦で情報を共有し、互いに支え合うことが大切です。
- 医師やカウンセラーとの相談: 不安やストレスを感じたら、一人で抱え込まず、医師や不妊治療専門のカウンセラーに相談しましょう。
まとめ:排卵誘発剤を理解し、前向きな妊活へ
排卵誘発剤は、不妊治療の成功率を大きく向上させる重要なツールです。しかし、その種類や作用、そしてリスクを正しく理解し、医師と協力して治療を進めることが非常に重要です。
- 内服薬は比較的軽度な排卵障害に用いられ、体への負担が少ないのが特徴です。
- 注射薬はより強力な効果を持ち、体外受精などで多く使われますが、卵巣過剰刺激症候群などのリスクも高まります。
不妊治療は、身体的な側面だけでなく、精神的な側面も大きく影響します。排卵誘発剤について正しい知識を持つことで、治療への不安を軽減し、より前向きな気持ちで妊活に取り組むことができるでしょう。
最後に、この記事は一般的な情報提供を目的としています。個々の症状や体質、治療計画は異なりますので、排卵誘発剤の使用については必ず不妊治療専門の医療機関を受診し、医師の指示に従ってください。専門家との対話を通じて、あなたに最適な治療法を見つけ、希望に満ちた未来へ一歩踏み出しましょう。







