概要 | Overview
網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう、Retinitis Pigmentosa:RP)とは、遺伝的に引き起こされる網膜の変性疾患の総称であり、進行性に視細胞(photoreceptor)が機能を失っていくことで、夜盲(やもう、night blindness)や視野狭窄(しやきょうさく、visual field constriction)、最終的には中心視力の低下をきたす病気です。特に初期には桿体(かんたい、rod photoreceptors)が障害され、その後に錐体(すいたい、cone photoreceptors)が影響を受ける「桿体-錐体変性(rod-cone dystrophy)」として進行します。眼底検査では、視神経乳頭の蝋様蒼白(optic disc pallor)、網膜血管の狭小化(attenuated retinal vessels)、血管周囲の色素沈着(pigment clumping)などが特徴的に認められます。これらの色素沈着は“骨小体(bone spicule)”と呼ばれる独特の形状をとることが多いですが、病初期には見られないこともあります。
RPという診断名は140年以上前から使用されており、かつてはさまざまな網膜疾患を含む広義の分類名でしたが、現在では遺伝子変異と臨床症状の共通性に基づき、より精密に分類されるようになりました。治療法は確立されていないものの、近年では遺伝子治療、幹細胞移植、光遺伝学(optogenetics)など、視機能の回復を目指す革新的な研究が進められています。
疫学 | Epidemiology
RPの世界全体での有病率はおおよそ3,500人から4,000人に1人と推定されていますが、これは過小評価されている可能性があります。例えば、イスラエル・エルサレム地域では非症候性RPの有病率が約2,086人に1人とされており、西洋の一般的な報告よりも高頻度です。中国北部の高齢者を対象とした調査では、1,000人に1人がRPに典型的な所見を有していました。
RPは男女ともに発症し、孤発例(sporadic cases)も多く報告されていますが、多くは家族性(familial)に遺伝します。特にX連鎖型(X-linked RP)は重症度が高く、発症年齢も若いため、男性での早期診断が目立ちます。診断が難しく、他の近視性疾患などと誤診されることもあり、疫学的調査でも正確な把握が難しい点が課題です。
病因 | Etiology
RPは極めて遺伝的に多様(genetically heterogeneous)な疾患であり、主に以下のような遺伝形式をとります:常染色体優性遺伝(autosomal dominant:約30〜40%)、常染色体劣性遺伝(autosomal recessive:約50〜60%)、X連鎖遺伝(X-linked:約5〜15%)。まれにミトコンドリア遺伝(mitochondrial inheritance)や2つの遺伝子にまたがる二遺伝子性遺伝(digenic inheritance)も報告されています。
1990年に初めてRP関連遺伝子が同定されて以降、79以上のRP関連遺伝子が特定されており、そのうち多くの変異は視覚伝達経路(phototransduction cascade)、視覚サイクル(visual cycle)、光受容体の構造保持、細胞内輸送(intracellular trafficking)などに関わるたんぱく質をコードしています。例えば、RHO(ロドプシン)、PDE6A、CNGB1、RPGR、CRB1、RP2、CHMといった遺伝子が高頻度で変異しています。
同じ遺伝子の変異でも患者ごとに異なる症状が現れ、同一家系内や左右の眼でさえも病態が異なる場合があります。これはモザイク遺伝(somatic mosaicism)や修飾遺伝子(modifier genes)による影響と考えられています。そのため、家系図解析と併せて網羅的な遺伝子検査(next-generation sequencing)が正確な診断とカウンセリングには不可欠です。
症状 | Symptoms
RPの典型的な初期症状は、夜盲(nyctalopia:夜間の視覚障害)です。これは桿体が光に反応する能力を失うためであり、暗所での視認が困難になります。その後、周辺視野が徐々に狭くなり、トンネル視野(tunnel vision)と呼ばれる状態を経て、最終的には中心視力も低下します。進行すると錐体の障害によって色覚異常や読書困難も現れます。
症状の出現時期には個人差があり、乳児期に発症するLeber先天盲(Leber congenital amaurosis)から、成人期発症の形式まで幅広いです。逆に、錐体優位の変性(cone-rod dystrophy)では、初期に色覚低下や中心視力障害が起こり、末期に周辺視野も障害されます。
また、症候性RP(syndromic RP)では、視覚障害に加えて難聴、肥満、神経症状などが併存する場合もあります。代表的な疾患に、Refsum病やBardet-Biedl症候群などがあります。
検査・診断 | Tests & Diagnosis
RPの診断における中心的な検査は網膜電図(electroretinography:ERG)です。ERGでは網膜の光刺激に対する電気的応答を測定し、桿体機能と錐体機能をそれぞれ評価します。暗順応条件でのERG(scotopic ERG)は桿体の反応を測定し、明順応条件でのERG(photopic ERG)は錐体の反応を評価します。病初期にはscotopic ERGが減弱し、進行に伴ってphotopic ERGも減少します。
終末期のRPでは、ERG応答が完全に消失することもあります。また、一部の症例では“エレクトロネガティブERG(electronegative ERG)”が認められ、これは光受容体以降の内層網膜の機能障害を示唆します。
眼底検査では、血管狭小化、視神経乳頭の蒼白、骨小体様色素沈着などが確認され、診断の一助となります。OCT(光干渉断層計)や蛍光眼底造影(fluorescein angiography)などの画像診断は補助的ですが、網膜の構造変化の把握に役立ちます。確定診断や家族内リスク評価には、分子遺伝学的検査が推奨されます。
治療法と管理 | Treatment & Management
現時点でRPを完全に治療する方法は存在しませんが、近年の研究によって複数の治療候補が模索されています。
遺伝子治療(gene therapy)は、疾患原因となる遺伝子を補充・修復する方法であり、特にMERTK変異を持つ患者に対してアデノ随伴ウイルス(adeno-associated virus:AAV)を用いた遺伝子導入が行われ、短期間の視力改善が報告されています。さらに、ゲノム編集技術(genome editing)であるCRISPR/Cas9を用いて、RHO遺伝子の変異を修復したラットモデルでは、網膜構造と機能の保護が確認されました。
幹細胞治療(stem cell therapy)では、骨髄由来幹細胞やiPS細胞(人工多能性幹細胞、induced pluripotent stem cells)から誘導した網膜色素上皮細胞(retinal pigment epithelium:RPE)を網膜内に移植する方法が研究されています。これにより視細胞の保護効果が一部報告されていますが、持続性と安全性には今後の検証が必要です。
神経栄養因子(neurotrophic factors)を利用した治療も動物実験で進行抑制効果が示されており、CNTF(ciliary neurotrophic factor)、BDNF(brain-derived neurotrophic factor)、GDNF(glial-derived neurotrophic factor)などが候補物質として研究されています。
合併症への対応も重要であり、RP患者では閉塞隅角緑内障(acute angle-closure glaucoma)のリスクが高まることが知られています。また、RPGRやRP2変異を伴う症例では病的近視(high myopia)を呈することが多く、これを単なる近視と誤認しないことが重要です。さらに、嚢胞様黄斑浮腫(cystoid macular edema)はドゾラミド(dorzolamide)点眼により改善することがあります。後嚢下白内障(posterior subcapsular cataract)も高齢RP患者に多く見られ、手術(超音波水晶体乳化吸引術)での対応が可能です。
末期のRPでは、光受容体がほぼ全滅していることから、視覚補助デバイスとして人工網膜(retinal prosthesis)や光遺伝学的アプローチが有望視されています。例として、Argus IIという網膜上膜型の人工網膜は、物体認識や方向感覚の補助として機能します。今後は、視神経に残存する細胞へ光感受性タンパク質を導入する新技術も開発中であり、現在のデバイスを超える視覚補助が期待されています。
生活指導としては、強い光への長時間暴露を避ける、目に優しい読書習慣を心がける、栄養バランスの良い食事を摂るといった一般的なアドバイスが推奨されますが、ランダム化臨床試験による明確な効果の裏付けはありません。
予後 | Prognosis
RPは進行性で不可逆性の疾患であり、最終的には多くの患者が視覚障害(visual impairment)または法的失明(legal blindness)に至ります。発症年齢や遺伝形式によって進行速度には大きな差があります。常染色体優性型では比較的進行が緩やかであるのに対し、X連鎖型や乳児期発症型では進行が速く、重症化しやすい傾向があります。黄斑病変(macular degeneration)が早期に現れる患者では視力の予後は不良です。
ただし、現在では多数の原因遺伝子が同定され、次世代シーケンシング技術(next-generation sequencing)やバイオインフォマティクスの発展によって、今後さらに多くの原因が明らかになると予想されます。また、トランスクリプトーム(transcriptome)やプロテオーム(proteome)解析によって、さまざまな遺伝型に共通する分子経路が明らかになる可能性があり、それに基づく治療戦略の開発が進むと期待されています。
遺伝子治療、幹細胞移植、人工網膜、光遺伝学など、RPに対する新たな治療法が着実に進化しており、近い将来、視覚の部分的な回復あるいは進行抑制が実現される可能性は現実的なものとなりつつあります。早期診断と正確な遺伝子解析は、こうした治療研究への参加にもつながるため、今後のRP診療において極めて重要です。
引用文献 | References
- Zhang, Q. (2016). Retinitis pigmentosa: Progress and perspective. Asia-Pacific Journal of Ophthalmology, 5(4), 265–271. https://doi.org/10.1097/APO.0000000000000227
- Phelan, J. K., & Bok, D. (2000). A brief review of retinitis pigmentosa and the identified retinitis pigmentosa genes. Mol Vis, 6(116), 24.
