Bainbridge-Ropers症候群(ベインブリッジ・ローパーズ症候群、以下BRPS)は、近年のゲノム解析技術の進歩によって明らかになった希少な遺伝性疾患です。2013年に初めて報告されたこの疾患は、ASXL3遺伝子の変異を原因とし、重度の発達遅滞や特徴的な身体的特徴を伴います。
本記事では、医療従事者やご家族、支援者の方々に向けて、BRPSの病理学的な背景から最新の診断基準、そして日常生活におけるケアのポイントまでを詳細に解説します。
1. Bainbridge-Ropers症候群とは:ASXL3遺伝子との関連性
Bainbridge-Ropers症候群(BRPS)は、常染色体顕性(優性)遺伝形式をとる神経発達障害です。その根本的な原因は、第18番染色体(18q12.1)に位置するASXL3遺伝子のde novo(突然変異)による変異にあります。
ASXL3遺伝子の役割
ASXL3(Additional sex combs-like 3)遺伝子は、エピジェネティックな遺伝子発現の調節において重要な役割を果たすタンパク質を符号化しています。具体的には、クロマチンの構造を変化させることで、他の多くの遺伝子の「スイッチ」をオン・オフする機能に関わっています。この遺伝子に変異が生じると、脳の発達や骨格の形成に必要な遺伝子群が正しく機能しなくなり、BRPS特有の症状が現れます。
遺伝のメカニズム
ほとんどの症例は、両親から受け継いだものではなく、受精卵の段階で発生したde novo変異です。そのため、兄弟姉妹が同じ疾患を持つ確率は非常に低い(1%未満)とされていますが、次子への影響を考慮する場合は、臨床遺伝専門医によるカウンセリングが推奨されます。
2. BRPSの主な症状と臨床的特徴
BRPSの症状は多岐にわたり、個人差も大きいのが特徴ですが、共通して見られる主要な臨床像がいくつか存在します。
神経発達および言語障害
- 重度の発達遅滞: 運動面、認知面の両方で顕著な遅れが見られます。歩行の開始が大幅に遅れる、あるいは独歩が困難なケースもあります。
- 言語獲得の困難: 多くの患者において、有意語(意味のある言葉)の発語が極めて限定的、もしくは全く見られない「非言語的」な状態となることが多いです。代替コミュニケーション(サインやタブレット端末)の活用が重要視されます。
- 知的障害: ほとんどの症例で中等度から重度の知的障害が認められます。
特徴的な顔貌(ディスモルフォロジー)
BRPSには、専門医が見て判断の助けとなる特徴的な顔の造作があります。
- アーチ状の眉: 高く、弓のような形をした眉。
- 眼瞼裂斜下: 目尻が下がったような目の形。
- 鼻梁の突出: 鼻の付け根が高く、しっかりしている。
- 口唇の形状: 上唇が薄く、口角が下がっている。
- 前頭部の突出: おでこが突き出ているように見える。
筋骨格系および身体的特徴
- 筋緊張低下(低緊張): 乳児期から体が柔らかく、抱っこした際のリスポンスが弱い傾向があります。
- 側弯症: 成長に伴い背骨が曲がるリスクが高いため、定期的な整形外科的フォローが必要です。
- 手指の特徴: 指が細長く、関節の過伸展が見られることがあります。
3. 診断プロセス:次世代シーケンシング(NGS)の重要性
BRPSは外見や症状のみで確定診断を下すことが非常に困難な疾患です。かつては「原因不明の発達遅滞」と片付けられていたケースも、近年の遺伝子検査技術の普及により、正確な診断が可能となりました。
全エクソーム解析(WES)
現在、BRPSの診断において最も有効なのは全エクソーム解析(Whole Exome Sequencing: WES)です。これは、ゲノムの中のタンパク質をコードする領域(エクソン)を網羅的に調べる検査です。ASXL3遺伝子の切断変異やフレームシフト変異を特定することで、確定診断に至ります。
鑑別診断
BRPSは、以下の疾患と症状が類似しているため、鑑別が必要です。
- Bohring-Opitz症候群 (BOS): ASXL1遺伝子の変異。BRPSよりも症状が重篤で、特有の「BOSポスチャー」と呼ばれる姿勢が見られます。
- Cornelia de Lange症候群: 多毛や四肢の欠損が見られることが多く、遺伝子解析で区別されます。
- Angelman症候群: 言語の遅れやハッピーな表情が似ていますが、遺伝学的背景が全く異なります。
4. 治療と管理:多職種連携によるアプローチ
現在、BRPSに対する根本的な治療法(遺伝子治療など)は確立されていません。そのため、個々の症状に合わせた対症療法と、早期からの療育(リハビリテーション)が中心となります。
医療的ケアのポイント
- 摂食支援: 嚥下(飲み込み)障害や、重度の偏食、胃食道逆流症(GERD)が見られる場合があります。栄養士や言語聴覚士による指導が必要です。
- てんかん管理: 一部の症例ではけいれん発作が見られます。脳波検査に基づいた適切な抗てんかん薬の選択が行われます。
- 睡眠障害への対応: 入眠困難や中途覚醒が多い傾向があります。環境調整や、必要に応じたメラトニン製剤の検討が行われます。
発達支援と教育
- 理学療法(PT): 筋緊張低下に対するアプローチや、粗大運動(歩行など)の獲得を目指します。
- 作業療法(OT): 手先の細かな動きや、感覚過敏の緩和をサポートします。
- 言語聴覚療法(ST): 発生訓練だけでなく、PECS(絵カード交換式コミュニケーションシステム)やVOCA(音声出力装置)を用いたコミュニケーション手段の構築を目指します。

5. ご家族へのサポートと生活の質(QOL)
希少疾患の診断を受けることは、ご家族にとって大きな精神的負担となります。BRPSの子どもたちは、言葉でのコミュニケーションが難しくても、豊かな感情を持ち、独自のサインで家族と交流することができます。
コミュニティの活用
世界中にBRPSの患者家族ネットワークが存在します。同じ悩みを持つ家族とつながることは、情報の共有だけでなく、精神的な孤立を防ぐために非常に有効です。
長期的な展望
BRPSは比較的新しく発見された疾患であるため、成人期の経過についてはまだデータが蓄積されている段階です。しかし、適切な医学的管理と療育を継続することで、健康状態を維持し、安定した生活を送ることが可能です。
結論
Bainbridge-Ropers症候群は、ASXL3遺伝子の変異による複雑な疾患ですが、早期診断と多角的なサポートによって、子どもの持つ可能性を最大限に引き出すことができます。医療・教育・福祉が連携し、個々の特性に合わせた支援計画を立てることが、本人とご家族のQOL向上に直結します。
最新の研究では、ASXL3遺伝子の機能解明が進んでおり、将来的な治療戦略の構築が期待されています。
