ピット・ホプキンス症候群という診断名を聞き、あるいは医師からその疑いがあると言われ、情報を求めてこのページにたどり着かれたご家族の方へ。
聞き慣れない病名に、戸惑いや不安を感じていらっしゃるかもしれません。この病気は「希少疾患(きしょうしっかん)」の一つであり、患者さんの数が少ないため、インターネットで検索しても日本語の詳しい情報は限られています。
見つかる情報も専門的な論文ばかりで、具体的な生活のイメージが湧きにくいことが、不安を大きくさせている一因かもしれません。
まず最初にお伝えしたいのは、ピット・ホプキンス症候群のお子さんたちは、とても明るく、人を惹きつける笑顔(ハッピー・ディスポジション)を持っていることが多いということです。
診断がついたからといって、お子さんの個性が消えるわけではありません。適切なサポートがあれば、ゆっくりですが着実に成長していきます。
あまり恐れすぎず、一つひとつ知識を整理していきましょう。
概要:どのような病気か
ピット・ホプキンス症候群(PTHS)は、1978年にオーストラリアの医師、ピット(Pitt)博士とホプキンス(Hopkins)博士によって初めて報告された、神経発達障害の一つです。
どのような病気か一言で言うと
「生まれつきの遺伝子の変化により、知的発達の遅れ、特徴的な呼吸(過呼吸と無呼吸の繰り返し)、独特なお顔立ちなどが見られる病気」です。
発生頻度
非常に稀な病気で、正確な統計はありませんが、世界で3万4000人〜30万人に1人程度の頻度ではないかと推定されています。
かつては診断が難しいとされていましたが、近年の遺伝子解析技術の進歩により、診断されるケースが増えてきています。以前は「アンジェルマン症候群」や「レット症候群」など、症状が似ている他の病気と診断されていた方の中に、実はピット・ホプキンス症候群の方がいたこともわかってきました。
指定難病
日本では国の指定難病(指定難病203「ピット・ホプキンス症候群」)に認定されており、重症度に応じて医療費の助成などのサポートを受けることができます。
主な症状
ピット・ホプキンス症候群の症状は、神経、呼吸器、消化器など全身に現れます。
個人差はありますが、代表的な症状を詳しく見ていきましょう。
1. お顔立ちの特徴(顔貌)
多くのお子さんに共通する、愛らしい特徴的なお顔立ちが見られます。これらは成長とともに少しずつはっきりしてくることがあります。
目
目が少しくぼんでいる(眼球陥凹)傾向があります。
鼻
鼻筋が太く、鼻先が少し下を向いている、あるいは鼻の穴が大きめであることが多いです。
口元
ここが最も特徴的です。口が大きく(巨口)、唇の山(人中)のカーブがはっきりした「キューピッドの弓(Cupid’s bow)」のような形をしています。下唇がふっくらとして厚みがあることも特徴です。
耳
耳の縁が厚かったり、カップ状の形をしていたりします。
2. 呼吸の異常(特徴的なサイン)
ピット・ホプキンス症候群を診断する上で、非常に重要な手がかりとなる症状です。
多くの場合、乳児期には目立たず、幼児期(5歳〜10歳頃)から思春期にかけて現れ始めます。
間欠的な過呼吸と無呼吸
起きている時に、急に「ハッ、ハッ、ハッ」と早く荒い呼吸(過呼吸)を数分間続け、その後に呼吸を止めてしまう(無呼吸)というパターンを繰り返すことがあります。
この発作により、顔色が青白くなる(チアノーゼ)ことがありますが、眠っている間にはこの呼吸異常は起こらないのが大きな特徴です。
この症状は、すべての患者さんに出るわけではなく、約半数から6割程度の方に見られると言われています。ご家族にとっては見ていて怖い症状ですが、年齢とともに落ち着く場合もあります。
3. 発達と行動面
知的発達症(知的障害)
中等度から重度の知的障害を伴うことが多いです。
運動発達の遅れ
首すわり、お座り、ハイハイなどの運動発達はゆっくり進みます。
歩き始めの時期も遅くなる傾向があり、平均すると4歳〜6歳頃に歩けるようになることが多いですが、個人差が大きいです。歩行は少し足を開いて不安定に歩く(失調性歩行)特徴が見られることがあります。
言葉の発達
発語(おしゃべり)は非常に限定的です。一語も話さない場合や、単語がいくつか出る程度の場合が多いです。
しかし、重要なのは「話せない=わかっていない」ではないということです。
彼らは言葉を話す能力(表出言語)よりも、言葉を聞いて理解する能力(受容言語)の方が高いことが知られています。こちらの言っていることは、想像以上によく理解しています。
ハッピー・ディスポジション(明るい性格)
アンジェルマン症候群と同様に、よく笑い、人懐っこく、明るい性格(Happy disposition)をしているお子さんが多いです。手を叩いたり(拍手)、手をヒラヒラさせたりする常同行動が見られることもあります。
一方で、不安を感じやすかったり、興奮しやすかったりすることもあります。
4. 消化器の症状
便秘
非常に多くの患者さん(約70〜80%)が、頑固な便秘に悩まされます。
幼少期から成人期まで続くことが多く、お腹が張って苦しがったり、便秘が原因で不機嫌になったりすることがあります。この病気において、お腹の管理は生活の質(QOL)を保つために極めて重要です。
胃食道逆流
ミルクや食べたものを吐き戻しやすいことがあります。
5. 神経系の症状
てんかん発作
約40〜50%の患者さんに、てんかん発作が見られます。
発作のタイプは様々ですが、多くは小児期に発症し、抗てんかん薬による治療が必要です。
筋緊張低下(フロッピーインファント)
赤ちゃんの頃は、体がふにゃふにゃして柔らかい(筋緊張が弱い)状態が見られます。これが運動発達の遅れにつながります。
6. その他の症状
近視や斜視などの目の問題。
手足の指の特徴(指先が太い、足が扁平足など)。
側弯症(背骨が曲がる)。

原因
なぜ、このような多様な症状が現れるのでしょうか。その原因は、脳の発達に重要な役割を果たす遺伝子の変化にあります。
TCF4遺伝子の変異
ピット・ホプキンス症候群の主な原因は、第18番染色体(18q21.2)にある「TCF4(ティーシーエフフォー)」という遺伝子の変異です。
TCF4遺伝子の役割
この遺伝子は、体の中で「転写因子(てんしゃいんし)」と呼ばれるタンパク質を作ります。
転写因子とは、他のたくさんの遺伝子のスイッチを「オン」にしたり「オフ」にしたりする、いわば「オーケストラの指揮者」のような役割を持つ重要な物質です。
TCF4は、特に神経系の発達や分化(神経細胞がそれぞれの役割を持つこと)に深く関わっています。
何が起きているのか
TCF4遺伝子に変異が起きたり、欠失(なくなってしまう)したりすると、この指揮者(TCF4タンパク質)がうまく作られなかったり、機能しなくなったりします(ハプロ不全)。
すると、脳の発達に必要な他の遺伝子たちへの指令がうまく届かず、神経ネットワークの形成に支障が出て、発達の遅れや呼吸の調整不全などが起こると考えられています。
遺伝について
ピット・ホプキンス症候群は「常染色体顕性遺伝(優性遺伝)」という形式をとりますが、ここには誤解されやすいポイントがあります。
ほとんどが「突然変異」
「遺伝」という言葉がつきますが、患者さんのほとんど(ほぼ全員)は、ご両親から遺伝したのではなく、受精卵ができる過程、あるいは精子や卵子ができる過程で偶然起こった「突然変異(de novo変異)」によるものです。
ご両親の遺伝子に異常があるわけではありません。
したがって、「妊娠中のお母さんの行動が悪かった」とか「家系のせい」といったことは一切ありません。誰のせいでもない、生命の神秘的なプロセスの中で偶然起きた変化です。
また、次のお子さんが同じ病気になる確率は、一般のご家庭とほとんど変わりません(1%以下)。
診断と検査
診断は、特徴的な症状の観察と、遺伝学的検査を組み合わせて行われます。
1. 臨床診断(症状による判断)
医師が診察を行い、以下のような特徴の組み合わせを確認します。
特徴的な顔貌(口の形、目の様子など)
中等度〜重度の知的障害
呼吸の異常(過呼吸・無呼吸)
これらの症状があり、レット症候群やアンジェルマン症候群の検査が陰性だった場合に、ピット・ホプキンス症候群が疑われます。
2. 遺伝学的検査(確定診断)
最も確実な診断方法です。
血液を採取し、DNAを解析してTCF4遺伝子に変異があるかを調べます。
ターゲット検査:TCF4遺伝子をピンポイントで調べる方法。
網羅的解析:全エクソーム解析(WES)などを用いて、すべての遺伝子を調べ、その中から原因を見つける方法。近年はこの方法で見つかるケースが増えています。
3. 画像検査(MRI)
頭部MRI検査を行うと、脳梁(のうりょう:右脳と左脳をつなぐ橋)が薄かったり、前頭葉が少し小さかったりする所見が見られることがありますが、これらはピット・ホプキンス症候群に特有のものではなく、診断の補助的な情報となります。
治療と管理
現在の医学では、TCF4遺伝子の変異そのものを修復して病気を根本から治す治療法はまだ確立されていません。
しかし、それぞれの症状に対応する「対症療法」と、能力を引き出す「療育(リハビリテーション)」を行うことで、生活の質(QOL)を大きく高めることができます。
1. 医療的なケア(対症療法)
てんかんの治療
脳波検査の結果に合わせて、その子に合った抗てんかん薬を使用します。発作をコントロールすることで、脳の発達を守り、生活の安全を確保します。
消化器(便秘)の管理
非常に重要です。水分や食物繊維を多く摂る食事療法に加え、緩下剤(便を柔らかくする薬)や整腸剤を日常的に使用して、便秘を防ぎます。便秘が解消されるだけで、機嫌が良くなったり、睡眠が改善したりすることはよくあります。
呼吸異常への対応
過呼吸や無呼吸に対して確立された特効薬はありませんが、てんかん薬や一部の薬剤が効果を示す場合があるという報告があります。医師と相談しながら試行錯誤していくことになります。また、無呼吸があっても、多くの場合は生命に関わるような低酸素状態には陥りません(酸素飽和度モニターなどで確認します)。
整形外科・眼科・歯科
側弯や足の変形には、装具(インソールやコルセット)を使用します。
視力の矯正(眼鏡)や、歯並びのケアも大切です。
2. 療育(リハビリテーション)
早期からの療育は、お子さんの発達にとって非常に大切です。
理学療法(PT)
筋肉の低緊張や、運動発達の遅れに対してアプローチします。お座りの練習、立ち上がり、歩行訓練などを行い、移動手段の獲得を目指します。
作業療法(OT)
手先の動き(微細運動)を促したり、感覚統合療法(揺れや触覚などの刺激を楽しむ)を行ったりします。
言語聴覚療法(ST)とコミュニケーション支援
ここが最も重要なポイントの一つです。
言葉を話すことが難しくても、彼らには「伝えたい気持ち」があり、「理解する力」があります。
AAC(拡大代替コミュニケーション):絵カード、ジェスチャー、サイン、そしてiPadなどのタブレット端末(VOCAアプリ)を活用して、意思表示をする方法を練習します。
「お腹すいた」「トイレ」「遊びたい」といった要求を、言葉以外の方法で伝えられるようになると、かんしゃくが減り、ご家族との絆がより深まります。
音楽療法
ピット・ホプキンス症候群のお子さんは、音楽が大好きなことが多いです。音楽を通じてリラックスしたり、リズムに乗って体を動かしたりすることは、心身の発達にとても良い影響を与えます。
まとめ
ピット・ホプキンス症候群についての解説をまとめます。
病気の本質
TCF4遺伝子の変異により、神経発達の調整がうまくいかなくなる先天性の疾患です。
主な特徴
特徴的なお顔立ち(大きな口、ふっくらした唇)、知的障害、独特な呼吸パターン(過呼吸・無呼吸)、便秘などが特徴です。
原因
多くは突然変異(de novo)であり、親のせいではありません。
診断
臨床症状と、遺伝子検査(TCF4変異の確認)によって行われます。
治療方針
てんかんや便秘の管理といった対症療法と、コミュニケーション支援(AAC)を含めた療育が生活を支えます。
