やさしいまとめ
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder, ASD)は、ことばやふるまい、人とのかかわり方に特徴がある発達の状態です。小さなころから「ほかの子と少しちがうかも」と感じたり、集団生活での困りごとが目立ってきたりすることがあります。本人はがんばっていても、まわりには「ふつうに見える」ことも多く、その分、苦しさが見えにくい場合もあります。
なかでも最近注目されているのが、「カモフラージュ(camouflaging)」という現象です。これは、自閉スペクトラム症のある人が、まわりに合わせようとして、自分の特性をかくしたり、無理をして「ふつう」にふるまおうとする行動を指します。とくに日本のように、調和や「空気を読むこと」が重んじられる文化では、このカモフラージュがとても巧妙で、本人も気づかないうちに疲れがたまってしまうことがあります。
この記事では、自閉スペクトラム症とカモフラージュについて、医学的な知見や実際の声をもとに、わかりやすく説明します。どうしてそうした行動が起こるのか、どんな影響があるのか、また支援や理解のヒントについても紹介しています。医療者の方はもちろん、ご家族や教育・支援に関わる方にも、お役に立てる内容となっています。
第1節:適応しようとする本能
生き延びるために、自然の中では
「目立たないこと」が、ときに最大の武器になります。
コウイカは体の色を変え、
サンゴの一部のように姿を変えます。
カメレオンは、木の皮や葉にそっと溶け込みます。
ナナフシは、もう「枝」との違いがわからないほど。
こうした“カモフラージュ(camouflage)”は、
誰かを騙そうとしているわけではありません。
それは、生きるための適応。
環境に合わせて身を守る、生物として根ざした反応です。
人間も、環境に合わせて適応します。
でも、私たちは身体の色を変える代わりに、
自分の“あり方”そのものをカモフラージュすることがあります。
特に、自閉スペクトラム症(ASD)の方々の中には、
自分の特性が「違い」として扱われる場面で、
それを隠したり補ったりする工夫を重ねる方が少なくありません。
こうした行動は「ソーシャル・カモフラージュ(social camouflaging)」と呼ばれます。
意識的にも、無意識的にも行われ、さまざまな形をとります。
たとえば──
- 手をひらひらさせるような自己刺激行動(stimming)を控えたり
- 本当は苦手なのに、目を合わせようとしたり
- あらかじめ会話のスクリプトを準備して臨んだり
あるいは、周囲の話し方や姿勢をまねて、
「普通に見えるように」ふるまうこともあります。
このような工夫には、
「マスキング(masking)」「補償(compensation)」「同化(assimilation)」といった言葉が使われます。
カモフラージュは「不誠実」ではない
ここで大切なのは──
この「隠す」という行動が、不誠実だったり病的であるという意味では決してないということ。
多くの場合、それは自分を守るための行動なのです。
周囲の無理解、排除、あるいはスティグマ(偏見)から身を守る、
やむを得ない手段でもあります。
日本という文化とカモフラージュ
「調和」や「空気を読むこと」が強く求められる日本では、
カモフラージュは、とても巧妙に、そして目に見えにくい形で行われます。
ある研究では、多くの当事者がこう語っています:
「まわりとどこか違うと感じながら育ち、
理由もわからないまま、必死に社会に合わせようとしてきた」と。
たとえば──
- 学校や職場で「普通のふりをしなさい」と言われる
- 「診断のことは言わないほうがいい」と勧められる
ある女性は言いました。
「まるで“クローゼットの中”で生きているようでした。
打ち明けたら、スケープゴートにされると思ったんです。」
また、別の方は──
長年のマスキングの疲れが限界に達し、
職業訓練中に倒れてしまいました(Haradaら, 2024年)。
森の中でも、教室の中でも──
「適応しようとする本能」は、ただの中立的な行動ではありません。
カモフラージュによって、学校や職場でのトラブルが減ることもあります。
けれど同時に、
不安、うつ、バーンアウト、診断の遅れなど、深刻な影響とも結びつきます(Hullら, 2020年;Mandy, 2019年)。
そして、日本の文化的背景においては、
中程度のカモフラージュが一時的な安定や緩衝材になることもある──
という研究結果もあり、事態はより複雑です(Oshimaら, 2024年)。
この文章では、カモフラージュという現象について、
その“意味”と“代償”、そして文化との関係を丁寧に見つめていきます。
研究データと当事者の語りを重ねながら──
「カモフラージュとは何か?」だけでなく、
「いつ」「なぜ」「誰に向けて」「どんな背景で」行われるのか。
そして、それがどれほどの負担と努力を伴うのかを、
静かに、しかし率直に紐解いていきます。
この物語の核心にあるのは、「隠すこと」ではありません。
それは、「生き抜くこと」の物語です。
そして、どうしてその“隠すこと”が必要になってしまうのか──
その問いが、今、私たちに求められているのかもしれません。
第2節:カモフラージュとは何か?
「カモフラージュ(camouflaging)」とは、
自閉スペクトラム症の方が、
自分の特性を社会的な場面で目立たせないようにするために使う、
さまざまな戦略のことを指します。
外から見ると「まわりにうまく溶け込んでいる」ように見えるかもしれません。
でもその内面では、模倣以上に、もっと複雑で深い心の動きがあることが多いのです。
この現象を理解する手がかりの一つが、
カモフラージュ自閉特性質問票(Camouflaging Autistic Traits Questionnaire: CAT-Q)です。
これは信頼性が検証された自己評価ツールで、
カモフラージュを次の三つの側面から測定しています。
マスキング(Masking)
自己刺激行動(stimming)を抑えたり、
本来は苦手な視線を無理に合わせたりするように、
自閉的な特徴を外から見えないように抑える行動です。
補償(Compensation)
スクリプト(決まり文句)を覚えて会話に備えたり、
声のトーンや表情を模倣したりして、
社会的な場面を乗り切るための技術や工夫を用いる行動です。
同化(Assimilation)
周囲の価値観やふるまいに合わせるよう、
自分のスタイルを「社会的に望ましい形」に変えていくこと。
その結果、自分らしさや快適さを犠牲にしてしまうこともあります。
この三つはお互いに排他的ではなく、
多くの方が状況に応じて複数の戦略を、しかも無意識のうちに行っていると報告されています。
日本における「過剰適応」という言葉
日本では、こうした行動が「過剰適応(over-adaptation)」と呼ばれることもあります。
これは自分のニーズや感情を抑えて、周囲に合わせようとする行動です。
診断用語ではありませんが、
「合わせなければならない空気」を的確にとらえた言葉として、文化的にも定着しつつあります。
(Oshimaら, 2024年;Tamuraら, 2025年)
誰もが同じように行うわけではない
カモフラージュは、すべての自閉スペクトラム症の人が同じように行うわけではありません。
また、非自閉の人にも、似たような「印象管理」の行動は見られることがあります。
ただし、ASDにおけるカモフラージュは──
より持続的で、努力が必要で、ときに「生き延びるための行動」になることが多いのです。
たとえば、定型発達の人が印象操作を行うときは、
状況に応じて選択的に行うことが多いですが、
自閉スペクトラム症の人にとってのカモフラージュは、
誤解や傷つきを防ぐための防衛手段として、より本質的な意味合いを持ちます。
(Mandy, 2019年)
理論的枠組み:ダブル・エンパシー問題
このテーマを理解するうえで重要な理論の一つが、
「ダブル・エンパシー問題(double empathy problem)」です。
これは、自閉の人が社会的理解に欠けているという見方に疑問を投げかけ、
むしろ「自閉と非自閉のあいだで、相互に理解の仕方がずれている」ことが原因だとする考え方です。
この視点に立つと、カモフラージュは「社会性の欠如」ではなく、
ズレた期待とのギャップを、自分の側から埋めようとする努力として再解釈されます。
カモフラージュを生み出すのは、環境でもある
カモフラージュの出発点は、個人の体験だけではありません。
それを生み出し、強化するのは、社会の構造や文化でもあります。
たとえば日本では──
- 幼い頃から集団での活動が重視される
- 上下関係の明確なコミュニケーションが求められる
- 「空気を読む力」が、美徳とされる
こうした環境の中で、
「自分はなにかが違う」と感じた子どもが、
理由もわからないまま、自分を調整し始めてしまうことがあります。
それは意識的とは限らず、
繰り返され、強化され、
そして誰にも気づかれないまま──
限界を迎えるその時まで、続いてしまうこともあるのです。
(Haradaら, 2024年)
定義はまだ揺れている
近年、カモフラージュは研究対象として明確に取り上げられるようになってきました。
これは、自閉症研究における大きな転換点でもあります。
ただし特に西洋の臨床研究では、
カモフラージュの定義がまだ流動的であり、
文化的な違いへの配慮が十分とはいえない点が課題として残っています。
だからこそ、カモフラージュを理解するには、
「その人がどうふるまうか」だけでなく、
「どんな社会のなかで、そうせざるを得なかったのか」──
その背景に静かに耳を傾ける必要があるのです。
第3節:人はいつ、なぜカモフラージュするのか
カモフラージュの行動は、
偶然でも、ただの癖でもありません。
多くの場合、それは
実際に、あるいは予期される社会的・感情的・職業的な結果に対応するために行われます。
文化や国を問わず、自閉スペクトラム症の当事者たちは語っています。
いじめを避けるため。
友人関係を築くため。
仕事を維持するため。
そうした理由で、カモフラージュを使ってきたと。
恐れに基づく動機
カモフラージュの始まりは、幼少期にあることが多くあります。
罰を避けたい。からかわれたくない。拒絶されたくない。
そうした切実な思いから始まることは珍しくありません。
自閉スペクトラム症の方々は語ります。
子どもの頃、「変わっている」と言われたり、
理由もわからないまま叱られたり、
仲間外れにされた記憶を持つ人が少なくないと。
特に日本では、幼少期から「協調性」や「空気を読む力」が重視されます。
そのため、そうした体験は、より強く孤立感を深める要因にもなります。
Haradaら(2024年)の日本の質的研究では、
いじめや暴力的な扱いを受けながらも、
学業など「表面的には困難がない」とされ、
支援を受けられなかったという声が多く記録されています。
ヒトミさんという女性は、こう語ります。
30代後半で診断を受けるまで、
「見た目は順調なのに、心は苦しい」状態が続いていたと。
成績が良くても、いじめの苦しさを信じてもらえなかったといいます。
そして、「診断を明かすことはできなかった」と。
まるで「クローゼットの中」にいるようだった、と表現しました。
また、サトミさんという別の女性は、
長年のマスキングの末、職業訓練中に倒れるという
深刻な身体的反応を経験しています。
これらの個別の物語は、
Hullら(2020年)、Mandy(2019年)らの研究とも一致しています。
カモフラージュは、
「自閉的であることが見えることによって被る社会的コスト」を
軽減しようとする動機に基づいて行われることが多いと報告されています。
拒絶、誤解、機会の損失──
それらへの恐れは、多くの当事者に共通しています。
目的志向の動機
カモフラージュは、恐れに基づくだけでなく、
より戦略的な目的をもって使われることもあります。
たとえば、教育を受けるため。
仕事に就くため。
人間関係を維持するため。
社会の中で「定型的なふるまい」が評価される場面で、
その期待に合わせようと、
意識的にカモフラージュを使う人もいます。
スクリプトを準備し、
表情や声のトーンを練習し、
「求められる振る舞い」に合わせてふるまう。
そうした行動は、短期的には成果をもたらすこともあります。
たとえば──
面接を乗り切る。
同僚との摩擦を避ける。
円滑な関係を築く。
こうした実利的な効果が得られることも確かにあります。
けれども、その代償は小さくありません。
長時間のマスキングによる疲労の蓄積。
自分らしさがわからなくなる感覚。
自尊感情の低下。
精神的な不調。
こうした影響が、多くの研究で報告されています。
大学時代に入院するほどの疲労を経験したユウスケさんは、
「普通に見せようとする努力が積み重なって、自分を壊してしまった」と語りました。
また、ミカコさんという女性は、二年間のひきこもり状態を経て、
「人との関わりが少ない」と思って選んだタクシー運転手の仕事に就きました。
しかしその職場では、
「女性らしくない」と言われるなど、
別の形の社会的規範に直面することになったのです。
カモフラージュは、ときに役立つ。
けれど、それによってすべての困難が解決するわけではありません。
むしろ、新たな負荷を生むことすらある──
その現実を見落としてはなりません。
文化的な動機
日本という文化の中で、
カモフラージュはさらに複雑な意味を帯びます。
日本社会は、ハイコンテクストで集団主義的。
調和、間接性、社会的役割の遂行が重んじられます。
幼い頃から「空気を読む」ことが求められ、
「言わなくてもわかる」が美徳とされがちです。
けれども、自閉スペクトラム症の人々は、
情報処理がより直接的で、パターン志向的である傾向があります。
そのため、「空気を読むこと」を当然とする文化とのあいだに、
大きなギャップが生まれやすいのです。
その結果として、
カモフラージュは「騙す」ためではなく、
「社会に参加するため」の方法として身につくことがあります。
加えて、日本には、
階層的な構造や厳格な行動規範も存在します。
「違いを表明すること」が、
周囲に不快感を与えるとみなされることもあります。
Haradaらの研究では、
「診断を伝えないように上司から言われた」
「本当のことを言うと“空気が悪くなる”と言われた」
といった証言が多数記録されています。
近年の日本の研究では、
カモフラージュは「非自閉の他者」に対してだけ行われるわけではない、
という興味深い結果も得られています。
Funawatariら(2024年)の研究では、
見た目や話し方が自閉的に見える他者に対してのほうが、
より強いカモフラージュが行われていたという意外な結果が報告されました。
つまり、カモフラージュは「多数派に合わせるため」だけではなく、
「相手にどう思われたいか」
「どういう関係を築きたいか」
といった、もっと複雑な社会的・感情的動機に基づいて行われている可能性があるのです。
第4節:性別、診断、そして「見えにくさ」の問題
自閉スペクトラム症は、
しばしば「見えない障害(invisible disability)」と呼ばれます。
けれどその中には、
「あまりにも見えなくなってしまった人たち」も存在します。
あまりにも上手に自分を隠してきたために、
医療者にも、家族にも、本人の特性が気づかれないまま──
長い年月を過ごすことになった人たちです。
近年の研究では、こうした「診断の見えにくさ」に
カモフラージュが深く関与している可能性が指摘されています。
とくに、女性やジェンダー・ダイバーシティを持つ人々において、
その傾向が顕著です。
性別に伴う社会的期待
私たちは幼い頃から、
「性別にふさわしい」とされるふるまいを学び、
その枠組みの中で評価されます。
女の子には、
感情に敏感であること、
コミュニケーションが得意であること、
従順であることが求められる場面が少なくありません。
そのため、自閉的な特性があっても、
それが「内気」「まじめ」「控えめ」といった
性格の一部として受け止められてしまうことがあります。
たとえば──
言葉数が少ない少女は「恥ずかしがり屋で頭が良い」
強い不安を抱えた十代の少女は「完璧主義」と見なされる
その結果として、
自閉スペクトラム症の女の子たちは
特性がないからではなく、「うまく隠しているからこそ」
診断されにくくなるのです。
データに見える性差
イギリスのHullら(2020年)は、CAT-Qを用いた調査で
自閉スペクトラム症の女性が男性よりも高い
カモフラージュスコアを示したと報告しています。
とくに、マスキングや同化の領域で顕著な差が見られました。
興味深いのは、非自閉群ではこの男女差が見られなかった点です。
つまり、「女性だから」ではなく、
「自閉スペクトラム症である女性だからこそ」
より強くカモフラージュを行う可能性があるということです。
ジェンダー・ダイバースな人々の経験
ノンバイナリーや他のジェンダー・ダイバースな当事者の中でも、
高いカモフラージュ傾向が報告されています。
ただし、現時点ではサンプルサイズに限界があるため、
研究はまだ初期段階にあります。
それでも、複数のマイノリティ性が重なることで
より複雑な適応パターンが生じやすいことは、
複数の文献で一致しています。
日本における診断の遅れと文化的背景
日本では、こうした性差とカモフラージュの関係が
文化的にさらに強調されやすい土壌があります。
伝統的な性役割の期待。
行動の均一性を重んじる文化的価値観。
その中で、自閉スペクトラム症の女性は
とくに「見えにくい存在」となりやすいのです。
実際、日本では診断年齢が他国と比べて遅く、
女性では成人後に診断されるケースが非常に多いと報告されています
(Oshimaら, 2024年;Haradaら, 2024年)。
見えにくさの構造的な理由
日本の診断基準や実務は、長らく
「目に見える」特性に焦点を当ててきました。
行動上の困難、明確なコミュニケーションのずれ──
そういった「外からわかりやすい特性」に頼る傾向が強かったのです。
そのため、補償や模倣によって隠された特性は
見逃されやすい構造になっていたといえます。
この構造によって、長年苦しんだ女性たちの声が
ようやくインタビューや質的研究を通じて可視化されつつあります。
具体的な語りの中から
サトミさんは、教育現場や職場での長年のマスキングの末、
訓練中に倒れ、ようやく診断を受けました。
ヒトミさんは、「私は違う」と感じながらも
それを誰にも言えなかったと語ります。
「診断を明かしたら、社会から外れるのではないか」──
そんな不安を抱えながら、何年も仮面をかぶり続けてきたのです。
これらの語りは、
「外見と内面の不一致」がもたらす苦悩と、
診断ツールがいかに外見に依存していたかを示す象徴でもあります。
文化的に「目立たない特性」
日本社会では、次のようなふるまいが
「好ましい」とされがちです。
- 目を合わせない
- 感情表現が控えめ
- 話し方が整理されていて構造的
けれどこれらは、
実は自閉スペクトラム症の特性と重なりうるものでもあります。
つまり、「文化的に歓迎されるスタイル」が
逆に特性を覆い隠してしまうという逆説があるのです。
ジェンダー期待と内面化
とくに女性においては、
「周囲に合わせるべきだ」
「空気を壊さないようにすべきだ」
というジェンダー的期待が内面化されやすい傾向があります。
その結果、困難が深く隠され、
「適応しているように見える」人ほど、支援を受けにくくなってしまう。
これは単なる見逃しではなく、
構造的な矛盾といえるかもしれません。
カモフラージュは、特性を見えにくくします。
そしてその見えにくさが、診断や支援を遅らせます。
「うまくやっているように見える人ほど、
本当の困難を抱えている」──
この矛盾に、私たちはどう向き合えばよいのでしょうか。
第5節 メンタルヘルスへの影響と「通過(Passing)」のパラドックス
一時的な適応、長期的な代償
カモフラージュは、一時的に学校や職場での適応を助けることがあります。
しかしその一方で、長期にわたる負担が心身に深刻な影響を及ぼすことが、数多くの研究から報告されています。
燃え尽きと慢性的な疲労
カモフラージュを続けるということは、常に自分の表情や声の調子、ふるまいを細かく制御し続けることを意味します。
その結果、「自閉スペクトラム症における燃え尽き(autistic burnout)」と呼ばれる状態に至ることがあります。
これは、極端な疲労感、認知機能の低下、日常生活への著しい支障などを特徴とする深刻な状態です(Mandy, 2019年;Haradaら, 2024年)。
たとえば──
サトミさんは、学校や職場で長年マスキングを続けた末、職業訓練中に倒れ、緊急搬送されました。
ユウスケさんも、大学時代の過剰なカモフラージュによって心身が限界に達し、入院治療を経験しています。
ふたりとも、「普通に見えるようにふるまう」努力が、日々少しずつ蓄積されて、自分を壊す結果につながったと語っています。
うつ・不安・自殺念慮との関連
カモフラージュは、心理的な不調とも深く結びついています。
Hullら(2020年)の研究では、特に女性において、カモフラージュのスコアが高いほど自殺念慮のリスクが上がる傾向が報告されました。
また、日本のOshimaら(2024年)の研究では、カモフラージュ強度と不安(GAD-7)・抑うつ(PHQ-9)の得点との関係が検証されました。
興味深いのは、「中程度のカモフラージュ」が最も心理的負担を軽減していたという点です。
極端に少ない、または多すぎるカモフラージュは、いずれもメンタルヘルスに悪影響を及ぼす──
そんなU字型の関係が見られたのです。
「通過(Passing)」のパラドックス
カモフラージュによって「定型発達者に見える」ことは、たしかにいくつかの社会的な利得をもたらします。
いじめを回避できる、就労のチャンスが広がる、誤解を受けにくくなる──。
しかし同時に、そこには重大な矛盾があります。
それは、「うまくやっているように見える人ほど、支援や診断を受けにくくなる」という現象です。
医療者や教員、上司などは、表面的な適応度をもとに「困っていない」と判断しやすく、
その結果、本当の苦しみが見逃されてしまうのです。
日本と西洋の違い──文化的背景による心理的負荷の変化
Oshimaら(2024年)は、日本とイギリスのクロスカルチュラル研究において、カモフラージュと心理的負荷の関係が文化によって異なることを示しました。
イギリスでは、カモフラージュが増えるにつれ心理的負荷も直線的に増加していました。
一方、日本では中程度のカモフラージュが一時的な安定をもたらす傾向がありましたが、
その「適度な範囲」を超えると急激に不調が悪化するという結果が得られています。
これは、日本における「過剰適応」の文化──
つまり、「まわりに合わせることが当たり前」という圧力が影響している可能性があります。
カモフラージュは「二重の刃」
カモフラージュは、社会的なトラブルを防ぐ緩衝材であると同時に、
長期的には本人の心身に深刻な負担をかけうる、二重の刃でもあります。
そして何より大切なのは──
カモフラージュは単なる「個人の努力」ではなく、
その人が生きている社会の価値観や期待によって大きくかたちづくられる行動だということです。
たとえば──
日本では「空気を読む」「和を乱さない」「自己主張を控える」といった規範が日常に深く根づいています。
こうした文化の中では、自閉スペクトラム症に見られるふるまいの多くが、
「問題ではない」とされて見過ごされる一方で、
それが目立つと「わがまま」「協調性がない」として排除されてしまうこともあります。
つまり、「同じ行動」でも──
それが問題視されるかどうかは文化によってまったく異なるのです。
引用文献|References
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