お子様が「11番染色体p13欠失(Chromosome 11p13 deletion)」、あるいは「WAGR症候群」という診断を受けたとき、聞き慣れない病名と、医師から説明される様々な症状のリスクに、大きな衝撃と不安を感じられたことでしょう。
特に「腫瘍(がん)」や「目の病気」といった言葉は、親御さんの心を強く締め付けるものです。
「目が見えていないの?」「がんになるって本当?」
インターネットで検索しても、専門的な情報が多く、逆に不安を煽られるような記述を目にしてしまうこともあるかもしれません。
しかし、この症候群は、原因となる遺伝子と症状の関係が医学的によく解明されている疾患の一つです。
つまり、「いつ、何を検査すればよいか」「何に気をつければよいか」という明確な管理指針(ガイドライン)が存在します。
適切な管理を行うことで、重篤な病気を早期に発見し、治療することが可能です。
概要:どのような病気か
11p13欠失症候群は、ヒトの細胞にある46本の染色体のうち、「11番染色体」の一部が失われている(欠失している)ことによって起こる生まれつきの疾患です。
この領域には、眼や腎臓、脳の発達に関わる重要な遺伝子が並んで存在しており、それらがまとめて欠失することで複数の症状が現れます。このように、隣り合う遺伝子が一緒に欠失して起こる病気を「隣接遺伝子症候群(りんせついでんし・しょうこうぐん)」と呼びます。
WAGR(ワグナー)症候群の名前の由来
この病気は、主な4つの症状の頭文字をとって「WAGR症候群」と呼ばれています。
- Wilms tumor(ウィルムス腫瘍):小児の腎臓がん
- Aniridia(無虹彩症):黒目(虹彩)の欠損
- Genitourinary anomalies(泌尿生殖器奇形):性器や尿路の形成異常
- Range of developmental delays(発達の遅れ):知的障害など
- (かつては Retardation と呼ばれていましたが、現在はより適切な表現が使われます)
最近では、これにObesity(肥満)を加えて、「WAGRO(ワグロ)症候群」と呼ばれることもあります。
染色体の「住所」を読み解く
- Chromosome 11(11番染色体): ヒトの23対の染色体のうち、11番目の染色体です。
- p(短腕): 染色体にはくびれがあり、短い方を「短腕(p)」、長い方を「長腕(q)」と呼びます。
- 13(領域): 短腕の「13番」という区画が欠けていることを意味します。
- Deletion(欠失): その部分の遺伝情報が抜け落ちている状態です。
「設計図」の重要なページがない状態
染色体を「全46巻の百科事典(体の設計図)」に例えるなら、この症候群は、「第11巻のp13という章のページが抜け落ちてしまっている」状態です。
このページには、以下の2つの超重要遺伝子が含まれています。
- PAX6遺伝子: 眼と脳を作る指令を出す。
- WT1遺伝子: 腎臓と性腺(精巣・卵巣)を作る指令を出す。
この2つが同時に失われることで、目と腎臓・性器に症状が出るのです。
主な症状:WAGRの頭文字に沿って
それぞれの症状について、詳しく解説します。
A: Aniridia(無虹彩症)
多くの場合、最初に気づかれる症状です。生まれた直後に「黒目が大きい」「黒目と白目の境目がない」ことで発見され、診断のきっかけになります。
- 無虹彩(むこうさい):
茶目(虹彩)の部分が生まれつき欠損しています。虹彩はカメラの「絞り」の役割をしているため、光の量を調節できません。 - 羞明(しゅうめい):
光の調節ができないため、まぶしさを強く感じます。 - 視力低下・眼振:
眼の奥(網膜の中心窩)の発達が未熟なことが多く、視力が出にくい(弱視)場合があります。また、目が小刻みに揺れる「眼振(がんしん)」や、斜視が見られることもあります。 - 合併症:
白内障(水晶体の濁り)や緑内障(眼圧が上がる)を発症するリスクが高いため、定期的な眼科検診が必須です。
W: Wilms tumor(ウィルムス腫瘍)
ご家族が最も心配される点かと思います。
ウィルムス腫瘍は、子供の腎臓にできる悪性腫瘍(がん)です。
- 発症リスク: WAGR症候群のお子様の約40〜50%に発症すると言われています。
- 発症時期: 多くは5歳くらいまでに発症します。
- 予後: 怖い病気ですが、早期に発見できれば、治療(手術や抗がん剤)によって90%以上が治癒する(助かる)病気です。
- そのため、「定期的な検査で早期発見すること」が命を守る鍵となります。
G: Genitourinary anomalies(泌尿生殖器奇形)
腎臓や性器の形成に特徴が出ることがあります。特に男の子で目立ちやすいです。
- 男児: 停留精巣(金玉が袋に降りてきていない)、尿道下裂(おしっこの出口がずれている)、陰茎が小さいなど。
- 女児: 外見では分かりにくいですが、子宮や卵巣の発達が未熟な場合があります。
- 腎臓: 腎臓の機能が低下する(慢性腎臓病)リスクがあるため、長期間のフォローが必要です。
R: Range of developmental delays(発達の遅れ・知的障害)
- 知的障害:
軽度から重度まで個人差があります。多くの場合は中等度〜重度の知的障害を伴います。 - 発達特性:
自閉スペクトラム症(ASD)やADHD(注意欠如・多動症)などの特性が見られることがあります。 - その他:
睡眠障害や、感覚過敏(特に聴覚や触覚)が見られることがあります。
O: Obesity(肥満)
近年注目されている症状です。
11p13領域のすぐ近くにあるBDNF遺伝子まで欠失が及んでいる場合、満腹を感じにくくなり、過食による重度の肥満になることがあります。これを「WAGRO症候群」と呼ぶこともあります。
幼児期後半から体重が急激に増える傾向があります。
原因:なぜ起きたのか
ご家族が「なぜ?」と悩み、時にご自身を責めてしまうのが「原因」についてです。しかし、声を大にしてお伝えしたいのは、「ご両親の育て方や妊娠中の過ごし方が原因ではない」ということです。
1. 突然変異(de novo変異)
11p13欠失症候群の大多数は、「de novo(デ・ノボ)」と呼ばれる突然変異で起こります。
精子や卵子が作られる過程、あるいは受精後の細胞分裂の非常に早い段階で、偶然染色体の一部が切れてなくなってしまったものです。
誰にでも起こりうる、自然の確率的な現象であり、防ぐことは現代の医学では不可能です。
2. 親の染色体転座(まれなケース)
ごく一部のケースでは、ご両親のどちらかが「均衡型転座」や「挿入」といった染色体のタイプを持っている場合があります。
- 均衡型転座: 染色体の場所が入れ替わっているだけで、遺伝情報の量は変わらないため、親御さん自身は健康です。
- しかし、お子様に染色体を受け渡す際に、バランスが崩れて「不均衡(欠失)」が生じることがあります。
※次のお子様を考えている場合など、必要に応じて遺伝カウンセリングで確認することができます。
診断と検査
通常、生まれた時の「無虹彩症」をきっかけに眼科医が疑いを持ち、遺伝学的検査を行うことで確定診断に至ります。
1. 染色体検査(G分染法・FISH法・マイクロアレイ)
- G分染法: 顕微鏡で見る基本的な検査です。欠失が大きい場合はこれで見つかりますが、小さい場合は見逃されることがあります。
- FISH法: WAGR症候群が疑われる場合に、特定のプローブ(目印)を使って、11p13領域があるかないかを光らせて調べる検査です。
- マイクロアレイ染色体検査 (CMA): 現在、最も推奨される検査です。DNAレベルで「正確にどこからどこまでが欠けているか」を特定できます。これにより、BDNF遺伝子(肥満関連)が含まれているかどうかも分かります。
2. 腹部超音波(エコー)検査
診断時、および診断後は定期的に行います。ウィルムス腫瘍が発生していないか、腎臓や性器の形に異常がないかを確認します。
3. 眼科検査
無虹彩の状態、視力、白内障や緑内障の有無を詳しく調べます。
治療と管理:これからのロードマップ
失われた染色体を元に戻す治療法(根本治療)は、現代の医療ではまだ確立されていません。
しかし、WAGR症候群は「管理(サーベイランス)」が非常に確立されており、それを行うことで健康を守ることができる疾患です。
1. ウィルムス腫瘍の監視(最重要)
これは命を守るために絶対に守っていただきたいことです。
ウィルムス腫瘍は進行が早いため、早期発見がカギです。
- 検査頻度: 3ヶ月に1回の腹部超音波(エコー)検査
- 期間: 診断確定時から8歳になるまで(8歳以降も頻度を減らして継続することが推奨されます)。
- なぜ3ヶ月か: 腫瘍ができてから大きくなるまでのスピードを考慮し、手遅れにならない間隔として設定されています。
- もし腫瘍が見つかった場合は、手術や化学療法を行いますが、早期であれば予後は非常に良好です。
2. 腎機能の保護
腫瘍がなくても、腎臓の機能が徐々に低下するリスクがあります。
- 定期検査: 尿検査(タンパク尿が出ていないか)、血圧測定、血液検査(腎機能)を定期的に行います。
- 生活: 塩分を控えるなどの食事管理が有効な場合があります。
- ACE阻害薬: タンパク尿が出始めた場合、腎臓を守る薬を使用することがあります。
3. 眼科的ケア
- 遮光眼鏡: まぶしさを防ぐため、外出時はサングラスや帽子を使用します。
- 定期検診: 緑内障(眼圧上昇)は自覚症状がないまま進行することがあるため、数ヶ月に一度の眼科チェックが必要です。
- 視覚支援: 弱視がある場合、拡大読書器やタブレット端末、単眼鏡などの補助具を使って「見る力」をサポートします。
4. 療育(ハビリテーション)
発達の遅れに対して、早期からのサポートを行います。
- 理学療法 (PT): 体幹を鍛え、運動発達を促します。
- 作業療法 (OT): 手先の不器用さを改善し、生活動作を練習します。
- 言語聴覚療法 (ST): 言葉の遅れに対してアプローチします。
- 視覚障害への配慮: 目が見えにくいことを考慮した療育(コントラストのはっきりしたおもちゃを使う、音や触覚を活用するなど)が必要です。盲学校の「乳幼児相談(教育相談)」を利用するのも非常に有効です。
5. 肥満対策(WAGROの場合)
BDNF遺伝子の欠失がある場合、満腹感を感じにくいため、食事制限が非常に難しくなります。
- 環境調整: 食べ物を目につく場所に置かない、鍵のかかる棚にしまうなどの物理的な対策が必要です。
- カロリー管理: 栄養士と相談し、低カロリーで満足感のある食事を工夫します。

日々の生活での工夫
11p13欠失症候群のお子様との生活で、ヒントになるポイントをまとめました。
- 「まぶしさ」への理解:
お子様が外に出るのを嫌がったり、不機嫌になったりする場合、「まぶしい」のが原因かもしれません。サングラスをかけたり、日陰を選んで歩いたりするだけで、機嫌が良くなることがあります。 - 3ヶ月ごとのエコーを習慣に:
「3ヶ月に1回病院に行く」ことは大変ですが、「元気であることを確認するイベント」として、終わったら公園に行くなどのお楽しみを作り、ポジティブなルーティンにしましょう。 - スモールステップ:
視力が弱いと、運動や模倣(まねっこ)が難しくなりがちです。周りの子と比べず、「昨日のこの子」と比べてください。手で触らせて教えるなど、その子に合った学び方を見つけましょう。
よくある質問(FAQ)
Q. 寿命に影響はありますか?
A. 適切な腫瘍の監視と腎臓の管理が行われていれば、長期生存が可能であり、成人して生活している方もたくさんいらっしゃいます。鍵となるのは、やはりウィルムス腫瘍の早期発見と、慢性腎臓病の管理です。
Q. 知的障害は必ずありますか?
A. 多くのケースで認められますが、程度は軽度から重度まで様々です。視覚障害の影響で発達検査の数値が低く出ている可能性もあるため、視覚に配慮した評価が必要です。
Q. 次の子に遺伝しますか?
A. 親御さんの染色体検査の結果によりますが、両親が正常(de novo変異)であれば、次のお子様が同じ病気になる確率は一般と同じく非常に低いです(1%以下)。親御さんが均衡型転座を持っている場合は確率が変わります。
まとめ
ここまでの重要ポイントを振り返ります。
- 11p13欠失症候群(WAGR症候群)は、無虹彩、ウィルムス腫瘍リスク、泌尿生殖器異常、発達遅滞を特徴とする疾患です。
- 原因は、PAX6遺伝子とWT1遺伝子の欠失です。
- 最重要事項は、ウィルムス腫瘍の早期発見のため、8歳まで3ヶ月ごとの腹部エコー検査を受けることです。
- 眼のケアとして、まぶしさ対策と緑内障の定期チェックが必要です。
- 療育では、視覚障害に配慮したアプローチが成長を助けます。
家族へのメッセージ:知識は希望になります
診断名を聞いた直後、ご家族は「腫瘍」や「目が見えにくい」という事実に、大きな恐怖と悲しみを感じているかもしれません。
「どうしてこの子が」と、答えのない問いに苦しむ夜もあるでしょう。
しかし、WAGR症候群は、医学的な管理法が確立されている病気です。
「3ヶ月に1回のエコー」というルールを守ることで、お子様の命を守ることができます。
「まぶしがり」への対策を知ることで、お子様の世界を快適にしてあげることができます。
正しい知識を持つことは、漠然とした不安を消し、お子様を守るための強力な武器になります。
WAGR症候群のお子様たちは、目は見えにくくても、鋭い聴覚や豊かな感性を持っています。
音楽が大好きだったり、記憶力が抜群に良かったり、人懐っこい笑顔で周りを明るくしたり。
病気はあくまでその子の一部であり、すべてではありません。
一人で抱え込まないで
世界には「International WAGR Syndrome Association」という組織があり、日本にも患者家族のコミュニティが存在します。
医師、看護師、視能訓練士、療法士。あなたの周りには、お子様を支える「チーム」を作るための専門家がいます。
分からないことは聞き、辛い時は吐き出し、周りを頼ってください。
焦らず、一日一日を大切に。
お子様の笑顔を守るために、今日できるケアを一つずつ積み重ねていきましょう。私たちも、その歩みを応援しています。
