遺伝子検査の結果報告書に記された「Intellectual developmental disorder, autosomal dominant 29(MRD29)」という長い英語の診断名、あるいは「SETBP1遺伝子の変異」という結果を見て、情報を求めてこのページにたどり着かれたご家族の方へ。
医師から「遺伝子の変化による生まれつきの体質です」と説明を受け、さらに「言葉の発達がゆっくりになる特徴があります」や「SETBP1という遺伝子が関係しています」といった話をされて、聞き慣れない病名に戸惑い、将来への不安を感じていらっしゃるかもしれません。
特に、「29型」という番号がついた診断名は、医学的な分類のための名称であり、一般的な病名として耳にすることはまずありません。インターネットで検索しても、日本語の詳しい情報はほとんど見つからず、海外の専門的な論文ばかりが出てきて、途方に暮れている方もいらっしゃるでしょう。
まず最初に、言葉の整理をさせてください。
この「常染色体顕性知的発達障害29型」は、近年では原因となる遺伝子の名前をとってSETBP1関連障害、あるいはより専門的にはSETBP1ハプロ不全症(SETBP1 haploinsufficiency disorder: SETBP1-HD)という名前で呼ばれることが一般的になってきています。
これは、第18番染色体にあるSETBP1(セットビーピーワン)という遺伝子の変化によって引き起こされる先天性の疾患です。
全体的な発達の遅れや、特に「言葉を話すこと」の難しさ、そして注意欠如・多動症のような行動特性を主な特徴とします。
非常に希少な疾患ですが、近年の遺伝子解析技術の進歩により、これまで原因不明の発達遅滞や言葉の遅れとされていた方の中に、この病気の方が含まれていることがわかってきました。そのため、診断される患者さんの数は世界中で少しずつ増えています。
まず最初にお伝えしたいのは、診断名はお子さんの未来を全て決定づけるものではないということです。
お子さんには、その子だけの素晴らしい個性と、成長していく力があります。
あまり恐れすぎず、一つひとつ知識を整理していきましょう。
概要:どのような病気か
まず、この病気がどのような位置づけにあるのか、そして全体としてどのような特徴があるのかを理解しましょう。
病名の意味と「優生(優性)」について
検索されたキーワードに「優生遺伝」とありましたが、これは医学用語の「優性遺伝」のことだと思われます。
現在、日本医学会では差別的な意味合いや、「優れている」という誤解を避けるため、「優性遺伝」を顕性遺伝(けんせいいでん)、「劣性遺伝」を潜性遺伝(せんせいいでん)と言い換えるようになっています。
したがって、この病気の正式名称は「常染色体顕性知的発達障害29型」となります。
ここでの「顕性」とは、「優れている」という意味ではなく、「両親から受け継ぐ2つの遺伝子のうち、片方に変化があれば症状として現れる(隠れずに表に出る)」という遺伝の形式を表しているに過ぎません。
つまり、「知的発達障害を引き起こす遺伝子変異の中で、29番目に登録された顕性遺伝のタイプ」という意味です。
全体的な特徴
MRD29の原因遺伝子はSETBP1です。
この遺伝子は、他の遺伝子の働きを調節したり、細胞の分裂や増殖をコントロールしたりする重要なタンパク質を作る役割を持っています。
このタンパク質が不足することで、脳の発達に影響が出ます。
主な特徴は、軽度から中等度の知的障害と、顕著な言葉の遅れです。特に、こちらの言っていることは理解できているのに、自分から話すことが難しいという特徴を持つお子さんが多いです。
また、赤ちゃんの頃は筋肉の張りが弱い筋緊張低下が見られることもあります。
性格は社交的で明るいことが多いですが、注意力が散漫になりやすい一面もあります。
シンツェル・ギーディオン症候群との違い
SETBP1遺伝子の変異について調べると、シンツェル・ギーディオン症候群(SGS)という別の重篤な病気の名前が出てくることがあります。
これは非常に重要な点ですが、MRD29(SETBP1ハプロ不全症)とシンツェル・ギーディオン症候群は、同じ遺伝子が原因でも、変異のタイプが全く異なる別の病気です。
SGSは、変異によってタンパク質が体に悪さをする機能獲得型変異であり、重篤な合併症を伴います。
一方、今回解説しているMRD29は、タンパク質の量が足りなくなる機能喪失型変異であり、SGSのような重篤な多臓器の合併症や生命予後の悪さは通常見られません。
インターネット上の情報を見る際は、この2つを混同しないように注意が必要です。
主な症状
知的発達障害29型(MRD29)の症状は、言語発達の特徴、運動・身体的な特徴、そして行動面の特徴の3つに大きく分けられます。
すべての症状が全員に現れるわけではなく、個人差が大きいのが特徴です。
1. 言語発達の特徴(最も重要なサイン)
ご家族が最初に「あれ?」と感じ、病院を受診するきっかけとなるのがこの言葉の遅れです。
MRD29のお子さんにとって、最も大きな課題となる部分です。
表出言語の著しい遅れ
言葉が出始めるのが遅く、2歳や3歳を過ぎても意味のある単語が出ない、あるいは非常に少ないことがあります。
特徴的なのは、こちらの言っていることを理解する力である受容言語は比較的良好に育っているのに対し、自分で言葉を話す力である表出言語が極端に苦手であるというギャップです。
「わかっているのに言えない」というもどかしさを感じていることが多いです。
小児期発語失行(CAS)
言葉が出にくい原因の一つとして、小児期発語失行という状態が関係していると考えられています。
これは、口や舌の筋肉に麻痺があるわけではないのに、脳から「口をこう動かして音を出そう」という指令がうまく伝わらないために、思った通りの音が出せない状態です。
そのために、一生懸命話そうとしても音が歪んでしまったり、母音だけになってしまったりすることがあります。
2. 神経発達と知的な特徴
全般的な精神運動発達遅滞
首すわり、お座り、ハイハイ、歩行などの運動機能の発達が、一般的な時期よりも遅れる傾向があります。
歩き始めが1歳半から2歳以降になることもあります。
手先の不器用さが見られることもあり、スプーンを使ったり、ボタンを留めたりする微細運動の発達もゆっくりです。
軽度から中等度の知的障害が見られることが多いです。
重度の障害を持つお子さんは比較的少ないと言われています。
新しいことを学習するのに時間がかかったり、読み書きの習得にサポートが必要だったりしますが、視覚的な情報処理(見て覚えること)は得意な場合が多いです。
3. 身体的な特徴
筋緊張低下
赤ちゃんの頃は体が柔らかく、抱っこした時にフニャッとした感じがする筋緊張低下が見られることがあります。
成長しても、姿勢を保つのが苦手で、すぐに机にもたれかかったりする様子が見られるかもしれません。
顔貌の特徴
MRD29には、ダウン症候群のような誰が見てもわかるような強い顔つきの特徴はありません。
しかし、詳しく観察すると、面長な顔立ち、高いおでこ、眉毛の特徴など、軽微な特徴が見られることがありますが、これらは個性の範囲内であることが多く、成長とともに目立たなくなることもあります。
視覚の問題
斜視や屈折異常(遠視や乱視など)が見られることがあります。
4. 行動面・精神面の特徴
脳の発達の違いは、行動や感情のコントロールにも影響を与えます。
注意欠如・多動症(ADHD)の傾向
じっとしているのが苦手で動き回ってしまったり、集中力が続かなかったり、衝動的に行動してしまったりすることがあります。
学校生活などで、座って授業を受けるのが難しい場合があります。
自閉スペクトラム症(ASD)の傾向
対人関係の難しさや、こだわり行動、感覚過敏といった自閉スペクトラム症の特徴が見られることがあります。
手をパタパタさせたりする常同行動が見られることもあります。
社会性と不安
基本的には人懐っこく、社交的な性格のお子さんが多いと言われています。
しかし、新しい環境や変化に対して強い不安を感じたり、言葉でうまく伝えられないストレスからかんしゃくを起こしたりすることもあります。

原因
なぜ、言葉が遅れたり、運動がゆっくりになったりするのでしょうか。その原因は、細胞の中で遺伝子の情報を読み取る手助けをするタンパク質の不足にあります。
SETBP1遺伝子の役割
この病気の原因は、第18番染色体にあるSETBP1(SET binding protein 1)という遺伝子の変異、または欠失です。
この遺伝子は、DNA結合タンパク質と呼ばれる種類のタンパク質を作る設計図です。
遺伝子の調整役
SETBP1タンパク質は、細胞の核の中に存在し、SETという他のがん遺伝子や、細胞の増殖・分化に関わる他のタンパク質と結合して、その働きを調節しています。
特に、脳が発達する時期において、神経細胞が正しく増え、正しい場所に移動し、ネットワークを作るために重要な役割を果たしていると考えられています。
何が起きているのか(ハプロ不全)
MRD29(SETBP1ハプロ不全症)では、2つあるSETBP1遺伝子のうちの片方が変異して機能しなくなる、あるいは欠失してなくなってしまうことで、作られるタンパク質の量が半分になってしまいます。これをハプロ不全と呼びます。
脳の発達を調整するタンパク質が半分しかいないため、神経細胞の発達やネットワーク形成がスムーズにいかなくなります。
特に、言葉を話すための運動計画を司る脳の領域や、注意力をコントロールする領域の発達に影響が出やすいと考えられています。
これが、発語失行やADHD傾向などの症状につながります。
遺伝について(顕性遺伝と突然変異)
この病気は常染色体顕性遺伝(優性遺伝)という形式をとります。
人間は遺伝子を2本セットで持っていますが、そのうちの片方のSETBP1遺伝子に変異があれば発症します。
しかし、この病気の患者さんのほとんどは、ご両親から遺伝したわけではありません。
ご両親の遺伝子は正常で、お子さんの代で初めて遺伝子の変化が起こる新生突然変異(de novo変異)のケースが圧倒的に多いです。
これは、受精卵ができる過程、あるいは精子や卵子ができる過程で偶然に起きたコピーミスのようなものであり、誰のせいでもありません。
妊娠中の生活習慣やストレス、高齢出産などが直接的な原因で起こるものではありません。
したがって、次のお子さんが同じ病気になる確率は、一般のカップルとほとんど変わりません(ただし、稀に性腺モザイクという現象があるため、心配な場合は遺伝カウンセリングでの相談が推奨されます)。
診断と検査
診断は、特徴的な症状の観察だけでは難しく、遺伝学的検査によって確定されます。
1. 臨床診断の難しさ
発達の遅れや言葉の遅れは、他の多くの病気でも見られる症状です。
また、特徴的な顔つきなどが目立たないことも多いため、見た目だけでSETBP1関連障害と診断することは不可能です。
そのため、これまでは「原因不明の知的障害」や「自閉スペクトラム症」、「発達性協調運動障害」と診断されていることが多くありました。
2. 遺伝学的検査
確定診断のために最も確実な検査です。
血液を採取し、DNAを解析してSETBP1遺伝子に変異があるかを調べます。
特定の遺伝子を狙って調べる検査もありますが、最近では次世代シーケンサーという技術を使って、発達障害に関連する多くの遺伝子を一度に網羅的に調べる全エクソーム解析や遺伝子パネル検査が行われることが増えています。
これにより、偶然SETBP1遺伝子の変異が見つかり、診断に至るケースが増えています。
また、染色体検査(マイクロアレイ検査)によって、SETBP1遺伝子を含む18番染色体の一部が欠けていることがわかる場合もあります。
3. その他の検査
診断の補助や合併症のチェックのために、以下の検査が行われることがあります。
脳のMRI検査:脳の構造に大きな異常がないかを確認します。基本的には正常であることが多いですが、軽微な変化が見られることもあります。
脳波検査:てんかんの疑いがある場合に行いますが、てんかんの合併率はそれほど高くありません。
眼科検査:視力や斜視の確認を行います。
治療と管理
現在の医学では、遺伝子を修復してタンパク質の量を元通りにする根本的な治療法はまだ確立されていません。
しかし、それぞれの症状に対して適切な治療や療育を行うことで、お子さんの持っている力を最大限に引き出し、生活の質を高めることができます。
1. リハビリテーション(療育)
お子さんの発達を促すために、早期からの療育が非常に重要です。
言語聴覚療法(ST)
MRD29のお子さんにとって、最も重要な療育の一つです。
単に言葉を覚えさせるだけでなく、発語失行に対するアプローチが必要になります。
口の形を真似する練習や、音を出すための運動の練習を行います。
言葉が出にくい時期には、ジェスチャー、絵カード、写真、タブレット端末、コミュニケーションアプリなど、その子に合った代替コミュニケーション手段(AAC)を積極的に導入することが推奨されます。
「伝えたいことが伝わる」という経験を積み重ねることで、コミュニケーションへの意欲が育ち、かんしゃくなどの行動も減ることが期待できます。
作業療法(OT)
手先の使い方や、日常生活動作(着替え、食事など)の練習をします。
書字が苦手な場合は、タブレット学習やキーボード入力の活用なども検討します。
感覚過敏がある場合は、感覚統合療法などを取り入れて、感覚の受け取り方を調整する練習を行うこともあります。
理学療法(PT)
運動発達に遅れがある場合、体のバランス感覚を養い、歩行などの運動機能を高める訓練を行います。
体幹を鍛えることで、姿勢を安定させ、手先の動作や発声の基礎を作ります。
2. 教育と生活のサポート
環境調整
ADHD傾向がある場合、落ち着いて過ごせる環境を作ることが大切です。
刺激を減らした静かなスペースを用意したり、一日のスケジュールを視覚的に示して見通しを持たせたりする工夫(構造化)が役立ちます。
学校選び
就学時には、特別支援学校や特別支援学級、あるいは通級指導教室など、お子さんの特性に合わせた教育環境を選ぶことが大切です。
個別の指導計画を作成し、一人ひとりのペースに合わせた学習や生活の自立に向けた支援を行います。
読み書きに困難がある場合は、ICT機器(タブレットなど)の活用などの合理的配慮を学校と相談することも重要です。
3. 健康管理
定期的な眼科検診を行い、視力に問題があれば眼鏡などで矯正します。
てんかん発作が疑われる症状(ボーッとする、ガクガクする)があれば、早めに受診して脳波検査を行います。
まとめ
知的発達障害29型(MRD29/SETBP1ハプロ不全症)についての解説をまとめます。
- 病気の本質: SETBP1遺伝子の変異により、脳の発達を調整するタンパク質が不足し、言語や運動の発達に影響が出る先天性の疾患です。
- 主な特徴: 全般的な発達の遅れ、特に著しい言葉の表出の遅れ(発語失行)、ADHDやASDなどの行動特性、温厚で社交的な性格などが特徴です。
- SGSとの違い: 重篤なシンツェル・ギーディオン症候群とは異なる病態であり、生命予後は一般的に良好です。
- 原因: 親からの遺伝ではなく、突然変異によるものが大半です。「顕性遺伝」という形式をとります。
- 治療: 根本治療はありませんが、言語聴覚療法(特にAACの活用)、作業療法、環境調整によって、コミュニケーション能力を伸ばし、生活の質を向上させることができます。
