「検査薬は4週でくっきり陽性なのに、なぜNIPTは10週まで待つの?」 その理由は、ターゲットの違いにあります。ホルモン(hCG)はすぐに分泌されますが、NIPTが必要とする「胎児のDNA(cfDNA)」が血液中に十分に流れ出るには、ある細胞レベルのドラマが必要です。10週未満の検査がなぜ医学的に「無意味」なのか、そのメカニズムを解説します。
1. 妊娠検査薬の正体:hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)の爆発力
まずは、妊娠検査薬が何を捉えているのか、そのメカニズムを深掘りします。
絨毛細胞からの「生存シグナル」
受精卵が子宮内膜に着床すると、胎児になる部分とは別に、胎盤になる部分(絨毛:じゅうもう)の細胞が猛烈な勢いで増殖を始めます。この絨毛細胞(合胞体栄養膜細胞)から分泌されるのが、hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)です。
hCGの主な役割は、母体の卵巣にある「黄体」を刺激し、妊娠維持ホルモン(プロゲステロン)の分泌を続けさせることです。「赤ちゃんがここにいます!生理を止めてください!」という、母体への強力なメッセージと言えます。
倍々ゲームで増えるhCG
hCGの血中濃度は、着床直後から指数関数的に上昇します。
- 妊娠4週: 約100〜200 mIU/mL
- 妊娠5週: 約2,000〜4,000 mIU/mL
- 妊娠6週: 数万単位へ急増
- 妊娠8〜10週: 約10万〜20万 mIU/mL(ピーク)
妊娠検査薬(免疫クロマトグラフィー法)の感度は通常50 mIU/mLです。つまり、hCGは分泌量が桁外れに多いため、妊娠超初期の「ごくわずかな尿」からでも容易に検出可能なのです。しかし、hCGはあくまで「妊娠している」という事実を示すシグナルに過ぎず、胎児の「質(染色体情報)」は一切含んでいません。
2. NIPTのターゲット:cfDNA(cell-free DNA)の繊細な世界
一方、NIPTが探そうとしているものは、hCGのような大量のホルモンではなく、血液の海に漂う微細なDNAの断片です。
「cfDNA」とは何か?
通常、DNAは細胞の「核」の中に大切にしまわれています。しかし、細胞が寿命を迎えたり、何らかの理由で死んだり(アポトーシス)すると、核内のDNAは細かく断片化され、細胞外(血液中)に放出されます。これがcfDNA(cell-free DNA:遊離DNA)です。
NIPTでは、母体の血液中に漂うcfDNAを回収・分析します。
母体血中の「胎児由来DNA」の正体
妊娠中の女性の血液中には、以下の2種類のcfDNAが混在しています。
- 母体由来cfDNA(約90%): お母さん自身の細胞(主に白血球や脂肪細胞)が壊れて出たもの。
- 胎児(胎盤)由来cfDNA(約10%): 胎盤の絨毛細胞がアポトーシスを起こし、母体の血流に流れ出したもの。
ここで重要なのは、「胎児由来」と言いつつ、実際は「胎盤由来」であるという点です。
胎盤は受精卵から作られるため、基本的には胎児と同じDNAを持っています。しかし、胎児の体そのものからDNAが漏れ出ているわけではありません。あくまで「胎盤の新陳代謝」によってこぼれ落ちた破片を拾い集めているのです。
3. なぜ「妊娠10週」なのか? Fetal Fraction(胎児ゲノム率)の壁

NIPTの成否を分ける最も重要なパラメータ、それが「Fetal Fraction(FF:胎児ゲノム率)」です。
これは、母体の血液中にある全cfDNAのうち、「胎児由来のDNAが何%を占めるか」という数値です。
解析に必要な「ノイズキャンセリング」の限界
NIPT(次世代シーケンサー法)は、数百万〜数千万個のDNA断片を読み取り、「21番染色体に由来する断片の総量」を計測します。
もし胎児がダウン症候群(21トリソミー:21番が3本ある)の場合、21番由来のDNA断片の量が、正常な場合よりも「わずかに」多くなります。
- 正常な場合: 21番由来の量が基準値通り。
- トリソミーの場合: 胎児由来DNAの分だけ、全体としてごくわずかに(数%程度)増える。
この「ごくわずかな増加」を有意な差として検知するためには、母体血中に十分な量の胎児DNA(=高いFetal Fraction)が必要です。
一般的に、正確な解析にはFetal Fractionが4%以上必要とされています。
週数とFetal Fractionの相関関係
Fetal Fractionは、胎盤が成熟し大きくなるにつれて上昇します。
- 妊娠4〜6週: 胎盤が未完成で小さいため、放出されるDNA量が極めて少ない(検知不能)。
- 妊娠8〜9週: 少しずつ増えるが、まだ4%未満の人が多く、解析エラー(判定不能)のリスクが高い。
- 妊娠10週以降: 多くの妊婦さんで安定して4%を超え、平均10%程度に達する。
これが、「妊娠検査薬は陽性なのにNIPTは受けられない」理由のすべてです。焦って9週で受けて「判定不能(再採血)」となり、結果的に結果判明が遅くなるケースが多いのはこのためです。
【深掘り】Fetal Fractionを下げる要因(判定不能リスク)
週数以外にも、Fetal Fractionを下げる生理学的要因があります。
- 母体の高BMI(肥満): 母体の脂肪細胞から放出される「母体由来cfDNA」が増えるため、相対的に胎児由来の割合(%)が薄まってしまいます。
- 抗凝固療法(ヘパリンなど): 不育症治療などで使用される薬剤は、血液中のDNA濃度に影響を与えることがあります。
- 体外受精(IVF): 自然妊娠に比べ、若干Fetal Fractionが低くなる傾向があるという研究報告があります。
4. NIPTの「落とし穴」:胎盤性モザイクと偽陽性
NIPTは感度99.9%と言われますが、これは「21番染色体の変化を見逃さない確率」の話です。これとは別に、「NIPT陽性=胎児が異常」とは限らない生物学的な理由があります。
胎盤と胎児のDNA不一致(CPM)
前述の通り、NIPTが見ているのは「胎盤のゴミ(DNA断片)」です。
受精卵が分裂する過程で、稀に「胎児は正常なのに、胎盤の細胞だけに染色体異常が起きる」という現象が発生します。これを「限局性胎盤モザイク(Confined Placental Mosaicism:CPM)」と呼びます。
この場合、NIPTでは「胎盤からの異常なDNA」を検知して「陽性」と判定しますが、お腹の赤ちゃん自身は正常な染色体を持っています。これがNIPTにおける「偽陽性」の主な原因の一つです。
だからこそ、NIPTで陽性が出た場合は、必ず胎児の細胞そのもの(羊水中の細胞)を調べる「羊水検査」で確定診断を行う必要があるのです。
5. まとめ:ミクロの世界の「待機時間」には意味がある
妊娠検査薬のhCGは、母体に妊娠を知らせるための「ラウドスピーカー」のようなものです。大音量ですぐに届きます。
一方、NIPTのcfDNAは、胎盤からこぼれ落ちる「砂金」のようなものです。川底(血液)に十分な量が溜まるまで待たなければ、見つけることも、分析することもできません。
科学的に正しいスケジュールの再確認
- 妊娠4週: hCG爆発。検査薬で陽性確認。(DNA解析には早すぎる)
- 妊娠6〜8週: 胎嚢・心拍確認。胎盤形成が急ピッチで進む。(DNA濃度は上昇中)
- 妊娠10週: Fetal Fractionが解析可能なレベル(4%以上)に到達。ここで初めてNIPTが可能になる。
「早く安心したい」という気持ちは痛いほど分かります。しかし、生命のメカニズムには逆らえません。
妊娠10週という待機期間は、単なるクリニックのルールではなく、正確な結果を得るために必要な「生物学的な準備期間」なのです。
このメカニズムを理解していれば、焦る気持ちも少し落ち着くのではないでしょうか。今は、お腹の中で胎盤という「生命維持システム」が懸命に作られている時間を、大切に見守ってあげてください。
