やさしいまとめ
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)は、ことばのやりとりや人との関わりがむずかしく感じられたり、興味がかたよったり、同じ行動をくり返すなどの特徴がある発達のちがいです。ASDのある方の中には、思春期から大人にかけて、気分が落ち込みやすくなる「うつ病(Depression)」をともなう方も多くいます。
うつ病は、気分の落ち込み、楽しさを感じにくい、眠れない、食欲がないなどの症状があらわれる病気ですが、ASDのある方ではこれらが独特なかたちで見られることがあります。自分の気持ちをうまく言葉にできないことも多く、まわりの人が気づきにくい場合もあります。
この記事では、ASDとうつ病がどう関係しているのか、どのような症状があらわれるのか、診断や検査にはどんな注意が必要か、そして治療や支援の方法について、くわしくていねいに解説しています。お子さんやご本人の「こころのサイン」を見逃さず、早めに支援につなげるためのヒントを、やさしくお伝えしていきます。
概要|Overview
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder, 以下ASDと略します)は、社会的なコミュニケーションや対人関係の難しさ、興味や行動の偏り、繰り返しの行動が特徴となる神経発達症の一群です。このASDのある方々の中には、うつ病(Depression)などの精神的な不調を併せ持つことが非常に多く、とくに青年期から成人期にかけてその傾向が顕著になります。
うつ病が加わることで、日常生活における困難がさらに大きくなり、支援の必要性が高まることがあります。しかし、ASDの方々におけるうつ病は、その症状がASDの特徴と重なって見えたり、言葉で気持ちを伝えることが難しかったりするため、気づかれにくく、見逃されやすい傾向があります。
最新の研究によれば、知的障害の有無にかかわらず、ASDのある方は、一般の方に比べて明らかにうつ病を発症するリスクが高いことが分かっています。けれども、実際の診断や治療は複雑で、医療現場でも課題が多く残されています。その背景には、症状の表れ方が独特であることや、現在の診断基準や評価ツールがASDの特性に十分対応できていないことなどが挙げられます。
本レビューでは、系統的な文献レビュー、症例報告、メタアナリシス、大規模な疫学研究などをもとに、ASDとうつ病の関係性について科学的に厳密な視点から幅広く解説しています。特に以下の点に焦点を当てています:
1 発症頻度や背景因子(疫学)
2 症状のあらわれ方(臨床像)
3 感情調整の困難(emotional dysregulation)や失感情症(alexithymia)などのリスク因子
4 評価・診断の難しさ
5 有効性が報告されている治療法
また、ASDのある方に特化した診断ツールの不足、研究方法のばらつき、個別化された治療介入の必要性など、現場での大きな課題にも目を向けています。
この情報が、ご家族や支援者、そして医療・教育・福祉の専門職の方々にとって、理解と支援の一助となることを願っています。
疾患名|Disorder
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder, ASD)
ASDは、生まれつきの脳の発達のちがいによって生じる、多様性のある神経発達症の一つです。主に以下のような特徴が見られます:
1 社会的なやりとりやコミュニケーションにおける持続的な難しさ
2 興味や行動の偏り、同じことを繰り返す傾向
これらの特性は、発達の初期から見られることが多いものの、年齢とともに徐々に目立ってくる場合もあります。ASDの影響の現れ方や程度は人によって大きく異なり、非常に軽度な場合から、日常生活に大きな支援を必要とする場合まで、幅広い多様性(スペクトラム)を持つことが名前の由来となっています。
うつ病(Depression:大うつ病性障害などを含む)
ASDと併存するうつ病とは、DSM-IV-TR、DSM-5、またはICD-10/11といった国際的な診断基準に基づいて診断される気分障害のことを指します。具体的には:
1 大うつ病性障害(Major Depressive Disorder, MDD)
2 持続性抑うつ障害(Dysthymia/Persistent Depressive Disorder)
3 特定不能の抑うつ障害(Depressive Disorder Not Otherwise Specified)
などが含まれます。
主な症状としては、抑うつ気分(気分の落ち込み)、興味や喜びの喪失(快の喪失)、睡眠や食欲の異常、疲労感、重症の場合は希死念慮(死にたいと感じること)などがあります。
ただし、ASDのある方では、こうした症状が一般的な形で現れにくいことも多く、たとえば気分の落ち込みを言葉で伝えることが難しい方では、代わりにイライラや行動の変化として現れることがあります。ASDの特性そのものと症状が重なりやすいため、診断がより慎重に行われる必要があります。
疫学|Epidemiology
うつ病(Depression)は、ASDのある方に最も多く見られる精神的な併存症(comorbidity)のひとつです。ASDのある方の中では、一般の方と比べて、うつ病の発症頻度が著しく高いことが、多くの研究によって明らかにされています。
成人における有病率(Prevalence in Adults)
成人のASDのある方では、現在うつ病を抱えている割合が、全体で約23%と推定されています。また、生涯を通じてうつ病を経験する割合(生涯有病率)は37%にのぼり、これは一般の人の推定値(約7%)の5倍以上に相当します。
臨床施設で診断を受けた方々に限ると、さらに高い割合が報告されており、おおよそ20%~35%の範囲とされています。これに対し、一般人口から抽出された研究では、うつ病の有病率は1%未満にとどまる場合もあり、大きな差が見られます。
小児・思春期における有病率(Prevalence in Children and Adolescents)
子どもや思春期の若者については、調査の方法や対象によって大きく異なる報告があります。有病率は0%から83.3%と非常に幅広く、以下の要因によって影響を受けることが知られています:
1 評価方法(本人による申告、保護者からの報告、専門家による面接など)
2 対象者の選定(病院を受診している方か、地域で抽出された方か)
3 年齢層(思春期前か、思春期以降か)
4 知的障害(Intellectual Disability, ID)や他の併存症の有無
たとえば、子ども本人への面接による評価では、うつ病の割合が83.3%に達した例もあります。一方、保護者からの報告では1.7%~68%とばらつきがありました。思春期に入ると、より高いうつ症状スコアが一貫して見られる傾向も示されています。
知的障害(ID)を併存する場合の影響(ID as a Modifying Factor)
ASDと知的障害(ID)を併せ持つ方では、うつ病の診断率が比較的低いことが報告されています。ある研究では、ASD+IDの方の14%がうつ病と診断されたのに対し、IDを伴わないASDの方では26%でした。
この差は、必ずしも実際の発症率の違いではなく、以下のような要因による「見逃し(アンダーダイアグノシス)」の可能性が示唆されています:
1 自分の気持ちを言葉で表現することが難しい
2 内面の変化に気づきにくい特性がある
3 一般的なうつ病評価ツールが適用しにくい
性差について(Sex Differences)
一般的には、うつ病は女性に多いとされていますが、ASDのある方に限ってみると、男女間に明確な差はないとするメタ解析の結果が報告されています。ただし、ASDのある女性は、特に思春期において、感情的な苦痛がより強く出る傾向があるとも指摘されています。
これは、診断が遅れやすいことや、社会的な場面で「普通に見せる」努力(カモフラージュ)をすることが多いために、内面的な負担が大きくなることが関係している可能性があります。
併存症の存在(Comorbidity)
ASDのある方におけるうつ病は、単独で発症することはまれであり、他の精神的な症状と同時に見られることが非常に多いです。とくに:
1 不安障害(Anxiety disorders)
2 注意欠如・多動症(ADHD)
3 感情調整の困難(Emotional Dysregulation)
4 希死念慮または自傷行為(Suicidal ideation or behavior)
が同時に見られるケースが多く、ASDのある方のおよそ70%が、何らかの精神的な診断を追加で受けていると報告されています。そのため、うつ病の診断や支援においては、他の症状や生活状況との関係性を含めて、広い視点での理解が必要になります。
病因|Etiology
ASDのある方におけるうつ病の発症には、さまざまな要因が関わっていると考えられており、その背景には生物学的、心理的、環境的、社会的な複数の要素が複雑に絡み合っています。ASD特有の特性が、感情や思考のプロセスと交差することで、気分障害が起きやすくなると考えられています。
1. 遺伝的および生物学的要因(Genetic and Biological Factors)
ASDとうつ病のあいだには、共通する遺伝的な脆弱性があることが、さまざまな研究から示されています。なかでも、複数の遺伝子の影響をまとめて分析するポリジーン(polygenic)リスク解析では、ADHDなど他の神経発達症と共通する部分が多く見られており、これらの状態が一部、生物学的な基盤を共有している可能性が考えられています。
さらに、ミトコンドリアの機能に関わる異常も、両者に共通する重要な要素のひとつとされています。ミトコンドリアは、細胞がエネルギーをつくり出すために欠かせない存在ですが、ASDのある子どもでは、およそ5〜7%にエネルギー代謝の異常が報告されています。たとえば、乳酸の上昇、酸化的リン酸化(OXPHOS)の低下、カルニチン濃度の異常といった生化学的な所見が確認されています。
うつ病においても、エネルギー産生の問題が関与していることがわかってきています。ATP(アデノシン三リン酸)の産生が低下したり、酸化ストレスが増加したりすることで、脳の働きや気分の安定に影響を及ぼす可能性があると考えられています。
このような関連性は、動物実験からも支持されています。たとえば、Cox10やUBE3Aといったミトコンドリア関連の遺伝子を欠損させた動物では、ASDに類似した行動と、抑うつ傾向のある行動が同時に見られることが確認されています。こうした研究から、ASDとうつ病には、一部重なり合う生物学的経路が存在することが示唆されています。
2. 感情調整の困難(Emotional Dysregulation, ED)
感情調整の困難(Emotional Dysregulation:以下ED)は、感情に対して柔軟かつ適応的に対応することが難しい状態を指します。ASDとうつ病との関連を説明する上で、EDはその中核をなすメカニズムのひとつとして注目されています。
EDを抱える人は、感情の強さが過度に高まったり、その感情を抑えたり調整したりすることが困難であったり、湧き上がる感情そのものを受け入れにくいといった特徴を示します。また、気分の急激な変動が見られることもあり、こうした不安定さが日常生活や対人関係に大きな影響を及ぼすことがあります。
なかでも、「怒りの反芻(anger rumination)」は重要な要素です。これは、怒りや不快な出来事に関連した思考を何度も繰り返す傾向を指し、この反芻傾向があると、気分の落ち込みが長引き、うつ症状がより重篤になる傾向があると報告されています。
さらに、ASDのある方でEDを抱える人々を対象とした脳画像研究では、感情の制御に関わる神経ネットワーク、具体的には扁桃体、前頭前野、そしてサリエンスネットワークといった領域において、神経結合の異常や結びつきの乱れが確認されています。これらの神経基盤の機能不全が、感情調整の困難や、うつ病への脆弱性の一因となっている可能性が示唆されています。
3. 失感情症および不確実性への耐性の低さ(Alexithymia and Intolerance of Uncertainty)
失感情症(Alexithymia)とは、「自分の感情を認識したり言語化することが難しい状態」を指します。ASDのある方ではこの特性が非常に多く見られ、うつ病の重症度とも強く関連することが報告されています。
また、「不確実な状況に対して耐えられない傾向(Intolerance of Uncertainty, IU)」も、ASDにおける不安症やうつ症状に関係しているとされています。IUが高いと、特に対人関係のように曖昧さを含む場面で、強い心理的ストレスを感じやすくなります。
症状|Symptoms
ASDのある方におけるうつ病は、一般の方と共通する特徴を持ちながらも、その表れ方には独自の傾向が見られることがあります。とくに、言葉による自己表現が限られている方や、自分の内面の変化に気づきにくい方では、典型的なうつ症状が見えにくく、診断が難しくなることがあります。
ASDにおける主なうつ症状(Core Depressive Symptoms in ASD)
臨床報告や系統的レビューによって、ASDのある方にも以下のようなうつ症状が現れることが明らかになっています。ただし、その表れ方は、一般的なうつ病とは異なる場合も多くあります。
抑うつ気分(Depressed Mood)
最も頻繁に観察される症状であり、15例中13例で確認されました。
ASDのある方では、自分の気分の落ち込みを言葉で伝えることが少なく、泣きやすくなる、イライラする、表情の変化が乏しくなるなど、行動を通して気づかれることが多いです。
直接「気分が落ちている」と自己申告したのは15例中1例のみであり、多くは周囲の観察によって認識されました。
快の喪失(Anhedonia)
以前楽しんでいた活動への興味や喜びを感じなくなる状態です。
15例中約半数で報告されており、たとえば特定の興味(例:天気に関する研究)への関心が薄れたり、繰り返し行っていた行動が止まるなどの形で現れることがあります。
睡眠の乱れ(Sleep Disturbance)
15例中11例で確認されました。
その多くは不眠傾向ですが、1例では過眠も報告されています。
食欲の変化(Appetite Disturbance)
15例中の過半数で見られ、食べる量が減る、または逆に増えるなどの変化が報告されています。
疲労感と精神運動の変化(Fatigue and Psychomotor Changes)
疲労については1例のみ、精神運動の鈍化(動作や反応の遅れ)は2例で報告されており、いずれも本人の訴えではなく、介護者や周囲の観察によって把握されました。
認知機能の低下(Cognitive Impairment)
集中力や意思決定の困難は2例で確認されており、これも親御さんや医療者が気づいた形で報告されています。
希死念慮と自殺行動(Suicidal Ideation and Behavior)
明確な「死にたい」という思いが1例で確認され、実際の自殺未遂も別の1例で記録されています。
行動面に現れるうつ症状(Behavioral Manifestations of Depression in ASD)
ASDのある方では、気持ちを言葉で伝えることが難しいことが多いため、行動の変化がうつ病を見極める重要な手がかりとなります。
問題行動の増加(Increased Maladaptive Behaviors)
うつ状態の悪化とともに、攻撃的行動、自傷行為、社会的な引きこもりなどが増えることがあります。こうした行動の変化は、周囲の人が最初に気づくサインとなることが多いです。
機能的スキルの退行(Regression in Functional Skills)
これまでに身につけた生活スキル(たとえばトイレの使用)が失われたり、尿失禁が再発したりすることがあり、これは知的障害の有無にかかわらず見られます。
適応行動の変化(Changes in Adaptive Behavior)
清潔保持や身だしなみを整える習慣が疎かになる、以前楽しんでいた活動や決まったルーチンを避けるようになるなど、日常生活に影響を与える変化が見られることもあります。
このように、DSMなどの標準的な診断基準では捉えにくい、ASD特有のうつ病のサインが存在します。そのため、医療者は行動的な変化や個別の発達歴を丁寧に評価する必要があります。
検査・診断|Testing & Diagnosis
ASDのある方におけるうつ病の正確な診断は、臨床的に非常に難しい課題のひとつです。その背景には、症状の重なり、表現の仕方の違い、そして従来の評価ツールの限界などがあります。
診断上の課題(Diagnostic Challenges)
症状の重複(Symptom Overlap)
ASDの中核症状である、感情表出の乏しさ、社会的な引きこもり、睡眠や食欲の乱れ、視線回避などは、うつ病と見分けがつきにくいことがあります。
逆に、実際にうつ症状が出ていても、それが「ASDらしさ」として誤解される場合もあり、これを「診断の影の効果(diagnostic overshadowing)」と呼びます。
コミュニケーションの壁(Communication Barriers)
言葉で自分の感情を表現する力が限られていたり、「失感情症(alexithymia)」の傾向があると、本人からの訴えが少なく、診断の手がかりが得にくくなります。
とくにお子さんや、知的障害を伴う方では、自己申告が信頼できない場合もあり、観察や周囲の報告がより重要となります。
評価者間の食い違い(Informant Discrepancy)
保護者、学校の先生、医療者など、それぞれが異なる視点から本人を見ており、感情の評価に差が生じることがあります。思春期になるとこの食い違いはさらに大きくなり、多方面からの情報収集が不可欠となります。
標準的なうつ評価尺度の限界(Limitations of Standard Depression Scales)
Beck Depression Inventory(BDI)やHamilton Depression Rating Scale(HDRS)など、一般的なうつ病評価尺度では、罪悪感や希死念慮、将来への悲観など、ASDのある方にとって理解が難しい項目が含まれていることがあります。また、知的障害を伴う方には質問自体が適用できないこともあります。
たとえば、GhaziuddinとTsaiによる1991年の症例では、ASDのある青年に対してHDRSを使用した際、複数の項目が「評価不能」となったことが報告されています。
現在利用可能な、あるいは開発中の評価ツール(Available and Emerging Assessment Tools)
Autism Comorbidity Interview – Present and Lifetime Version(ACI-PL)
Kiddie-SADSという子ども向けの精神科面接をもとに、ASDの特徴と精神症状を区別しやすくするために開発されたツールです。
現在のところ、比較的認知機能が高いASDの方を対象に有効性が確認されています。
Diagnostic Manual – Intellectual Disability(DM-ID)の診断ガイドライン
言語表現が限られている方の診断に柔軟性をもたせる工夫がなされています。
たとえば、「悲しさ」のかわりに「怒りっぽさ」でもうつ症状と判断することや、大うつ病性障害の診断に必要な症状数を5つから4つに緩和するなど、現実的な対応が可能です。
また、本人の訴えが得られない場合には、周囲の観察にもとづく診断が重視されます。
Autistic Depression Assessment Tool(ADAT-A)
ASDのある成人向けに現在開発中の評価ツールです。ただし、子どもへの適用はまだ検証されていません。
診断のベストプラクティス(Best Practices in Diagnosis)
構造化された臨床面接(Structured Clinical Interviews)
アンケート形式だけではなく、発達歴や生活背景をふまえた丁寧な面接が推奨されます。本人にとっての「いつもと違う」変化を見極めることが重要です。
多方面からの情報収集(Multi-Informant Evaluation)
保護者、教育関係者、医療スタッフなど、複数の立場からの観察が、正確な診断に大きく役立ちます。
行動の変化を「その人にとっての基準」と比較することが、誤診や見逃しを防ぐカギとなります。
発達歴の理解(Understanding Developmental History)
本人が今までどのような発達経過をたどってきたのか、何が「いつも通り」で何が「異変」なのかを、個別に理解することが、診断の精度を高めるうえで欠かせません。
治療法と管理|Treatment & Management
ASDのある方におけるうつ病の治療と管理には、薬物療法と心理社会的支援の両方が必要とされます。ただし、ASDの特性や併存症の有無に応じて、治療法の選択や調整には個別の配慮が欠かせません。以下に現在知られている効果的なアプローチと、その注意点についてご紹介します。
薬物療法(Pharmacological Interventions)
1. 抗うつ薬:SSRIおよびその他の薬剤(Antidepressants: SSRIs and Others)
選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, SSRI)であるフルオキセチン(fluoxetine)、セルトラリン(sertraline)、フルボキサミン(fluvoxamine)などは、ASDのある方に最もよく処方されている抗うつ薬です。
症例報告によると、7人中6人がSSRI使用後に以下のような症状の改善を示しました:
- 抑うつ気分の軽減
- 攻撃的な行動の減少
- 自傷行動の緩和
より大規模なデータからの知見:
Perryら(2001年)による臨床研究では、うつ症状が疑われたASDのある12名のうち、9名(75%)が抗うつ薬または気分安定薬の投与開始から2〜6週間以内に一定の改善を示したと報告されています。この結果は、薬物療法がASDを併存するうつ病に対して有効である可能性を示唆する一方で、いくつかの重要な留意点があります。
まず、臨床現場においては、抗うつ薬がうつ症状そのものではなく、強迫的行動や不安への対処を目的として処方されることが少なくありません。このため、実際にうつ病への効果があったのかを明確に評価することが困難になるケースがあります。
また、抗うつ薬の使用に伴って、イライラ感や過度の興奮、衝動的な行動の増加といった副作用が生じることがあり、とくに他の精神疾患を併発している方や、薬剤に対して過敏性の高い方では、慎重な投与と丁寧なモニタリングが求められます。
さらに、現在のところ、ASDのある方のうつ病に特化したランダム化比較試験(RCT)は実施されておらず、薬物療法に関する科学的根拠は限定的です。そのため、治療方針を立てる際には、個々の症状や併存する特性を十分に考慮したうえで、薬物以外のアプローチと併用しながら柔軟に対応することが重要です。
2. ADHD治療薬と気分症状の関係(ADHD Medications and Mood)
ASDとADHDを併存する方の場合、メチルフェニデート(methylphenidate)などの刺激薬が気分の不安定さを悪化させることがあります。
特に、家族に双極性障害(bipolar disorder)の既往がある場合には、抗うつ薬による軽躁(hypomania)のリスクもあるため、注意深い観察とモニタリングが必要です。
心理社会的アプローチ(Psychological Interventions)
1. 認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy, CBT)
CBTは、ASDのある方に対する非薬物的介入の中で、最も効果が実証されている治療アプローチの一つです。CBTは本来、思考・感情・行動の相互関係に働きかけることで心理的な問題を軽減することを目的としていますが、ASDの特性に応じた配慮や工夫を加えることで、その有効性はさらに高まることが報告されています。
具体的には、視覚的に情報を提示する手法が有効とされており、言語的な説明に加えて絵や図を用いることで理解を促進します。また、抽象的な比喩や言い回しは避け、より具体的で直接的な表現を用いることが推奨されます。さらに、本人の関心が高いテーマや活動をセッションの中に取り入れることで、意欲や集中力を引き出しやすくなり、治療への主体的な参加が促されます。
このように、ASDのある方に対するCBTは、標準的な手法をそのまま適用するのではなく、個々の認知スタイルや感覚特性を考慮しながら、柔軟に調整していくことが治療効果の鍵となります。
効果の程度:
メタ解析では、CBTがASDのある方の感情症状(抑うつ、不安など)を軽減する効果が、小~中程度の範囲で認められています。
自己評価よりも、家族や臨床家による観察のほうが改善を認識しやすい傾向があり、これはASDのある方が内面の変化を認識・表現することが難しいためと考えられています。
2. 弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy, DBT)
特に、感情調整の困難(emotional dysregulation)や自傷行為がある方に対して有効性が報告されています。ASD向けに調整されたDBTは、知的障害を伴わない成人を対象とした初期の研究で、実施可能性と効果の兆候が確認されています。
3. 行動活性化(Behavioral Activation)および機能的コミュニケーショントレーニング(Functional Communication Training)
言葉が限られている方や知的障害を併存する方にとっては、より実践的な支援が有効です。
問題行動(たとえば自傷やパニックなど)に対して、構造化された代替行動を用いて、感情を適切に表現する方法を身につけることを目指します。
新たな治療法・補完的アプローチ(Emerging and Complementary Strategies)
1 テクノロジー活用
スマートウォッチとスマートフォンアプリを連動させて、感情の変化を記録・可視化し、自身での感情調整を支援する試みが始まっています。
2 環境調整
感覚過敏を軽減するための配慮、予測しやすい日常の構造づくり、スケジュールの安定化などが、間接的にうつ症状の改善につながることがあります。
3 社会的スキルやサポートの強化
仲間からの支援、ソーシャルコーチング、構造化されたグループ活動を通じたつながりづくりが、孤独感の軽減に役立つとされています。
臨床での支援の原則(Clinical Management Recommendations)
1 最も深刻な症状を優先して治療すること
うつ状態が重く、自殺念慮がある場合は、まず気分の安定を優先します。一方で、不安やADHDが主な課題であれば、それらを治療しつつ、うつ症状を注意深くモニタリングします。
2 多職種の連携
精神科医、臨床心理士、作業療法士、言語聴覚士、教育関係者などが連携し、特にお子さんにおいては包括的な支援が不可欠です。
3 継続的なモニタリングとリスク評価
自殺リスクや薬物による副作用の出現を、定期的かつ丁寧に評価する必要があります。治療方針の調整においては、保護者からの情報が重要な役割を果たします。
予後|Prognosis(改訂版)
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder, ASD)のある方がうつ病を併発する場合、その経過はときに複雑で、ご本人の生活やこころの状態に深い影響をもたらすことがあります。ASDとうつ病の両方を抱える方は、どちらか一方のみの場合と比べて、より継続的で丁寧な支援が必要になることが多いとされています。
たとえば、日々の暮らしの中で、学校や仕事に通い続けることが難しくなったり、人との関わりに自信を持ちづらくなったりと、「いつも通り」を保つことが負担に感じられる場面が増えることがあります。とくに思春期以降にうつ症状が現れた場合、適切な支援につながるまでに時間がかかると、症状が長引いたり、何度も繰り返したりする傾向があると報告されています。
また、心の痛みに気づいてもらえないことや、うまく伝えられないことが重なると、深刻な思いつめに至るリスクもあります。中には、周囲に気づかれないように自分の特性を隠して生活している方や、診断を受けるまで長い年月を要した方もおられます。そうした場合、苦しさが積み重なり、うつ症状に気づくのが遅れてしまうことがあるのです。
一方で、前向きな支えとなる要素も数多く知られています。たとえば、できるだけ早く適切な支援につながること、ご家族からのあたたかいサポートがあること、ASDに配慮した心理的なサービスを受けられることなどは、ご本人の安心感や気持ちの安定につながりやすいと考えられています。また、自分の感情に気づき、それを整理したり人と共有したりする力を少しずつ育てていくことも、再発の予防や回復に役立ちます。
反対に、特性を隠してがんばりすぎてしまうこと(カモフラージュ)や、感情をうまく認識できない「失感情症(alexithymia)」、過去のいじめや社会的な拒絶体験などは、うつ病のリスクを高める要因とされています。さらに、ASDのある方に特化した評価や診断の方法がまだ十分に整っていないことも、支援の遅れにつながる場合があります。
こうした複雑さがあるからこそ、ご本人にとって意味のある支援とは何かを、一人ひとりの背景に寄り添いながら考えていくことが大切です。日々のなかで少しでも「落ち着ける」「自分らしくいられる」と感じられる時間が増えるよう、医療・福祉・教育の分野が連携し、長期的に支えていける社会づくりが求められています。回復への道のりは決して一様ではありませんが、ご本人やご家族が希望を持ち続けられるような支援が、今後さらに広がっていくことが期待されます。
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