この記事のまとめ
ナブルス仮面様顔症候群は、世界でもごく少数の報告しかない、とても珍しい遺伝性疾患です。その特徴的な顔貌や、発達・身体面への影響は人によってさまざま。この記事では、最新の医学的知見とともに、この疾患を持つ方々への理解を深め、支援のあり方を優しく丁寧にお伝えします。
病気の別称
- ナブルス仮面様顔症候群(Nablus Mask-Like Facial Syndrome; NMLFS)
- 8q22.1微小欠失症候群(8q22.1 microdeletion syndrome)
- モノソミー8q22.1(Monosomy 8q22.1)
- 眼瞼鼻顔面症候群(Blepharo-Naso-Facial Syndrome)と重複する可能性あり
疾患概要

ナブルス仮面様顔症候群(Nablus Mask-Like Facial Syndrome, NMLFS)は、染色体8の長腕(8q)のうち8q21.3〜8q22.1領域における微小欠失(microdeletion)を原因とする、極めて稀な先天性遺伝性疾患である。本疾患は、2000年にパレスチナ・ナブルス出身の男児において、アフマド・テービ(Ahmad Teebi)によって初めて報告され、その後の追跡調査および症例報告により、固有の顔貌特徴と一定の発達的・構造的異常が共通して確認されたことから、独立した症候群として国際的に認識されるに至った。
本症候群は、「ナブルス仮面様顔症候群」の名称の通り、最も顕著な臨床的特徴は仮面を着けたかのような無表情かつ緊張した顔貌(mask-like facial appearance)である。これは、いくつかの特異的な頭蓋顔面形態異常が組み合わさることで表現されるものであり、以下のような所見が繰り返し報告されている:
- 眼瞼裂狭小(blepharophimosis):眼の開口部が水平方向に狭く、小さく見える。
- 顔面皮膚の光沢と緊張(taut, glistening skin):特に鼻部を中心とした顔面の皮膚が光沢をもち、弾力性を欠いている。
- 前頭部の毛髪異常(upswept frontal hairline):額の中央部から逆立つように毛髪が生えており、独特な髪型を呈する。
- 眉毛の異常(sparse, arched eyebrows):弓形で薄くまばらな眉毛。
- 鼻の異常(flat and broad nasal bridge, bulbous tip):鼻梁が平坦かつ広く、鼻尖部が球状に膨らんでいる。
- 人中の延長(long, smooth philtrum):鼻と上唇の間にある縦溝(人中)が長く滑らか。
- 下唇の外反と小顎(everted lower lip and micrognathia):下唇がめくれ上がるように突出し、顎が小さい(小顎症)。
- 上顎低形成(maxillary hypoplasia):上顎の発育不全。
- 頬のくぼみ(bilateral cheek dimples):両頬に生理的ではないくぼみが形成される。
- 耳介異常(dysmorphic ears):耳の形が通常と異なり、耳輪が未展開な形態を示す。
- 陽気で幸せそうな表情(cheerful demeanor):多くの報告例において、情動的に明るく、人懐っこい性格が共通して観察されている。
このような顔貌の構成要素が複合的に存在することにより、「仮面様の顔貌」という極めて特徴的な外観が形成される。
この疾患の臨床的頻度は極めて稀であり、2024年時点における世界全体の報告症例数はわずか26例程度にとどまる。そのうち、典型的な顔貌を呈した症例は半数未満に過ぎず、同一の8q22.1欠失を持つにもかかわらず顔貌が非典型的であった患者も複数報告されている。これにより、NMLFSは表現型の多様性(variable expressivity)を示す疾患であることが示唆されており、症状の有無や程度は患者ごとに大きく異なる。
また、NMLFSは顔貌異常のみならず、多系統にわたる先天的異常や発達障害を伴うことが多い。以下にその代表的な全身的症候を示す:
- 成長・神経発達領域:
- 発達遅滞(motor and speech delay)
- 軽度〜中等度の知的障害(intellectual disability)
- 小頭症(microcephaly)
- 発達遅滞(motor and speech delay)
- 筋骨格系・関節:
- 筋緊張低下(hypotonia)
- 関節拘縮(joint contractures)
- 屈指症(camptodactyly)
- サンダルギャップ(足趾間隔の開大)
- 筋緊張低下(hypotonia)
- 生殖器系:
- 停留精巣(cryptorchidism)
- 低形成性陰嚢
- 停留精巣(cryptorchidism)
- 口腔・耳鼻咽喉:
- 上顎突出、アーチ状口蓋
- 粘膜下口蓋裂や唇裂
- 異常歯列(歯の先天性欠如、エナメル質低形成、開咬など)
- 顎堤の肥厚
- 舌肥大(macroglossia)
- 難聴(sensorineural hearing loss)
- 喉頭軟化症(laryngomalacia)
- 上顎突出、アーチ状口蓋
- その他の臓器系・奇形:
- 鼠径ヘルニア、腹壁ヘルニア(例:Spigelian hernia)
- 心血管奇形(動脈管開存など)
- 腸回転異常
- 鼠径ヘルニア、腹壁ヘルニア(例:Spigelian hernia)
このように、NMLFSは多彩かつ個体差の大きい臨床像を呈することが知られており、軽症から重症までスペクトラム的に分布している。また、近年の症例報告では、成人期に進行性の筋疾患(ミオパチー)を呈した症例も報告されており、従来小児症例中心であったNMLFSの病態が、年齢依存的に変化しうる可能性も指摘されつつある。
このような背景をふまえ、NMLFSは単なる顔貌異常にとどまらず、全身性かつ神経発達的管理が求められる希少疾患としての認識が重要である。診断とケアには、遺伝診療、小児神経科、整形外科、歯科、耳鼻科、心理支援などの多職種連携が不可欠である。

一部の研究では、NMLFSと筋疾患(ミオパチー)との関連が示唆されています。筋緊張低下や関節拘縮、滑らかで引き締まった皮膚などの症状が、胎児期に発症したミオパチーと関係している可能性が指摘されています。しかし、現時点ではミオパチーがNMLFSの確立された特徴とは見なされていません。NMLFSは非常に稀な疾患であるため、これまで認識されていなかった症状や特徴がさらなる研究によって明らかになる可能性があります。電気筋肉図(EMG)などの包括的な評価を通じて、これらの関連性を解明することが求められています。
NMLFSは極めて稀な疾患で、2024年時点で報告されている症例数はわずか26例です。そのうち、典型的な顔貌を持つ患者は半数以下です。このことは、NMLFSが非常に多様な症状を持つ疾患であり、すべての患者に典型的な特徴が現れるわけではないことを示しています。そのため、特に非典型的な症例や顔貌の特徴が顕著でない患者においては、診断が難しい場合があります。
NMLFSはその稀少性と症状の多様性から、診断と管理には専門的なアプローチが必要とされています。
病因と診断の方法
ナブルス仮面様顔症候群(NMLFS)の原因は、ヒト第8染色体長腕(8q)の特定領域—具体的には8q21.3から8q22.1にかけて—に生じる微小欠失(microdeletion)に起因することが、複数の分子遺伝学的研究により明らかとなっている。この欠失により、当該領域に存在する複数の遺伝子が一括して失われ、特有の頭蓋顔面形態異常や発達障害、その他の先天性異常が誘発されると考えられている。

染色体異常の範囲とクリティカルリージョン
報告されている欠失のサイズにはばらつきがあり、最小で約1.6メガベース(Mb)から最大で8.9 Mb程度まで存在する。これらの欠失の共通領域を比較検討することで、NMLFSの発現に本質的に関与すると考えられるクリティカルリージョン(critical region)が浮かび上がっており、その範囲はおおよそ93.5 Mb〜96.3 Mb(GRCh37/hg19参照)とされている。
この領域内には、TMEM67, CCNE2, GDF6, ESRP1, RAD54Bなど、胚発生や組織分化に関与するとされる重要な遺伝子が含まれており、それぞれの単独または相互作用がNMLFSの症候群発現に関与している可能性がある。しかし、これらの遺伝子の機能喪失が単独でNMLFSを引き起こすという直接的証拠は未だ不十分であり、現在も活発な検証が続けられている。
遺伝形式と遺伝学的背景
これまでに報告された確定例の多くでは、欠失はde novo(新生突然変異)として発生しており、親からの遺伝(垂直伝播)が確認された例はごく少数である。ただし、母子ペアや母子兄弟ペアにおいて欠失が遺伝した例が存在することから、NMLFSは常染色体優性遺伝の形式をとる可能性があり、不完全顕現(incomplete penetrance)および可変表現性(variable expressivity)が関与していると考えられている。
さらに、NMLFSの発症には、単一の遺伝子欠失のみならず、修飾遺伝子(modifier genes)、遠位座位の変異(second-site variants)、あるいはエピジェネティック要因(例:クロマチン構造変化や転写調節異常)が複合的に関与している可能性が指摘されており、「欠失だけでは不十分(deletion is necessary but not sufficient)」という立場が現在の主流となっている。
診断法と遺伝子検査技術
NMLFSの確定診断には、染色体構造異常の高解像度検出が可能な分子遺伝学的検査が不可欠である。これまでに用いられてきた主な診断手法には以下がある:
- 比較ゲノムハイブリダイゼーション(array-CGH)
→ 微小欠失の有無とその範囲を網羅的に検出可能。 - 蛍光 in situ ハイブリダイゼーション(FISH)
→ 特定領域の欠失を高精度で局在化し、モザイク例の検出も補助する。 - 染色体マイクロアレイ(CMA)
→ array-CGHと類似した検出能力を持ち、診療現場で広く用いられている。 - 全エクソームシーケンシング(WES)
→ 配列変異に加え、コピー数変異(CNV)も検出可能で、NMLFSのように表現型の多様性が疑われる疾患群においては非常に有用である。
これらの検査により、8q21.3〜8q22.1領域におけるヘテロ接合性の欠失(heterozygous deletion)が確認されることで、診断が成立する。近年では、非侵襲的出生前診断(NIPT)も、NMLFSに代表される微小欠失症候群のスクリーニング手段として注目を集めており、母体血中の胎児由来細胞を分析することで、高い精度かつ安全性をもって染色体異常を検出することが可能となっている。NIPTは、侵襲的な羊水検査や絨毛検査と比較してリスクが低いため、妊婦にとって望ましい選択肢の一つとされている。
今後の病因解明に向けて
NMLFSは報告例が非常に限られているため、病因遺伝子の特定や発症機序の解明には追加症例の蓄積が不可欠である。とくに、小規模な欠失(1〜2 Mb未満)や部分重複、点変異を有する症例の詳細な表現型解析およびゲノム解析が、新たな病因仮説の検証に貢献すると考えられている。また、長期的追跡調査や、親子・兄弟姉妹例における家系解析も、表現型の多様性や遺伝的修飾因子の解明に向けた重要な鍵となるだろう。
疾患の症状と管理方法
主要な症状(顔貌)
- 狭い眼裂(blepharophimosis)
- 皮膚が緊張し、つやのある表情の乏しい顔
- 眉毛のまばらさと弧状形態
- 鼻梁が広く、先端が丸い
- 小さい顎(下顎低形成)と上顎低形成
- 頬にくぼみ(両側)
- 耳介異常(展開不全、奇形)
- 前頭部の毛髪異常(逆立ち)
その他の身体的・神経発達的特徴
- 発達遅滞(軽度〜中等度)
- 筋緊張低下(低緊張)、関節拘縮、屈指症(camptodactyly)
- 停留精巣(cryptorchidism)、陰茎肥大などの性器異常
- 口蓋裂、歯の異常(異常咬合、先天性欠如歯、エナメル質低形成)
- 感覚器異常(小頭症、近視、ケラトコナス、難聴など)
- 脳波・画像では異常を示さない場合が多い
- 行動上の特徴:陽気で社交的、またはADHD、攻撃性、ASD傾向(個体差あり)
管理方法
- 小児神経科・遺伝専門医の管理
- 発達支援、理学療法、言語療法、行動療法
- 外科的介入(停留精巣、関節拘縮、口蓋裂など)
- 歯科的対応(麻酔下治療を含む)
- 定期的な心エコー、筋電図(EMG)、成長評価
- 心理社会的サポート(容貌に対する情緒ケア含む)
将来の見通し
将来の見通し
NMLFSは稀少疾患であり、臨床像・予後に大きなばらつきがあります。
予後に関する知見
- 典型的顔貌を持たないケースの報告が増えており、診断基準の柔軟性と表現型の広がりが今後の課題です。
- 確実なフェノタイプ発現には、8q22.1の欠失に加えて第二の因子(二座モデル)が必要とされる可能性があります。
- 成人症例では筋症(ミオパチー)の合併が報告されており、年齢依存的な発現や未認識の筋症状の存在が示唆されています。
今後の研究課題
- 機能的候補遺伝子の特定(例:TMEM67, CCNE2, GDF6)
- エピジェネティック制御・クロマチン構造の解析
- 軽症例・非典型例を含む患者コホートの拡充
- 出生前診断・キャリアスクリーニングの向上
- 口腔、筋肉、行動に関する横断的な自然歴研究
この疾患は、臨床医・遺伝カウンセラー・小児科・歯科・心理士など、多職種連携を必要とする包括的医療のモデルケースとも言えます。極めて稀でありながら、表現型の多様性と新規症状の発見が続いているため、一人ひとりの症例が科学的進展に貢献する重要な疾患です。

補足
補足事項と記載内容の明確化
本記事の記載内容の正確性と臨床的有用性を高めるため、以下にいくつかの補足情報および留意点を示します:
■ 世界における報告例数について
2024年時点で、ナブルス仮面様顔症候群(NMLFS)の報告例数は約26例とされていますが、この数値はあくまで文献に正式に報告された症例数に基づく最小推定値です。未診断例、他の症候群に誤分類された例、あるいは未報告の軽症例が存在する可能性が高く、実際の有病数はこれより多い可能性があります。
■ 眼瞼鼻顔面症候群との関連について
本記事では、眼瞼鼻顔面症候群(Blepharo-Naso-Facial Syndrome; BNFS)との重複可能性について言及していますが、両疾患の間に遺伝学的または明確な病因的関連があるという十分な証拠は現時点では存在していません。あくまで鑑別診断上の一考慮事項としての記載であり、臨床的な同一視を意図するものではありません。
■ 行動的特徴の記載について
「陽気で幸せそうな表情(cheerful demeanor)」という記述は、一部の症例報告に基づいた観察であり、すべての患者に共通する行動的特徴ではありません。このような情動的傾向は主観的な評価に依存しやすく、仮面様顔貌の視覚的印象と混同されるおそれもあるため、診断的特徴とは明確に区別して解釈する必要があります。
■ 生殖器異常の記載について
本記事では、停留精巣のほかに「陰茎肥大」が記載されていますが、陰茎肥大はごく限られた報告に基づくものであり、現時点では本症候群の代表的特徴とは見なされていません。今後の追加症例報告を待って評価を行う必要があります。
■ 付随的な症状の扱いについて
Spigelianヘルニア、舌肥大、エナメル質低形成など、本記事に記載された一部の所見は、単発的または稀な症例で報告されたものであり、本症候群のコア症状とは言い難い点に留意が必要です。今後の改訂では以下のように分類を分けて記載することが望まれます:
- コア特徴(本症候群の大多数に共通する主要所見)
- 頻度の高い付随症状
- まれに見られる、または偶発的な所見
これらの点を考慮し、今後も表現型の分布や病因の解明に基づいた記載の更新を継続して行う必要があります。本稿の情報が少しでもお役に立てたのであれば、筆者としてこれ以上の喜びはありません。しかしながら、この疾患は非常に稀であり、症状の現れ方にも個人差があるため、診断や治療方針については必ず医療専門家にご相談ください。必要に応じて複数の医療機関や専門医の意見を得ることも大切です。どうか、ご自身とお子さまの健康を大切になさってください。
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